スピリチュアリズム 

スピリチュアル・カウンセラー
天枝の日誌

第6話
「 遠い道のり 」

「 エテルナ 」 が開店した。
2人にとっては新しい霊的人生の始まりでもある。
これを機会に、2人はそれぞれ、自分の名前を付けることにした。

あれこれ考えた結果、姉の方は、「 天の手足となって働く者 」 という意味で天枝(たかえ)とし、妹の方は 「 天に使える者 」 という意味で、使枝(しえ)とした。

読書会を開くには教育の場である大学の近くにしたかったのだが、残念ながら空いているテナントは1つもなかった。
ただ1軒、県立高校のすぐ近くに中古の住宅兼店舗が売りに出されていたので、そこを購入した。

近くには喫茶店やレストランが少ないせいか、教師や、学校に出入りする業者が時々利用してくれる。
道路沿いにはいくつかの事務所があるので、そこの人たちもよく来てくれる。
しかし、さすがに、高校生は入ってこない。

シルバーバーチの読書会は、最初は日を決めていなかった。
話したい人が自由に話していけば良いと思っていたからだ。

読書会への入り口として、シルバーバーチの言葉を抜粋してまとめた手作りの小冊子と、貸し出し用に何冊かを置いた。

新聞は置くとしても、漫画や週刊誌を置くことにはいささか抵抗があったが、喫茶店なのでしかたがない。
あまり低俗なのはやめて、そこそこ真面目なのを選んだ。

多くの人が一時のリラックスを求めて、コーヒーや紅茶を飲みながら雑誌や新聞を手に取るが、“ シルバーバーチの霊訓 ” を読む人はほとんどいない。
たまに手に取って見る人はいるが、パラパラめくっただけで元に戻されるのが常だ。

小冊子を持ち帰る人は居るが、反応は予想していたよりはるかに少ない。
それでも、「 なかなか良いことが書いてあったよ 」、と言ってくれる人はいる。
「 どこが良いと思いました?」 と聞いてみると、残念ながら、そこから話が進まない。

これほどまでに反応がないということは、世の中の人たちの霊性が開花されていない現状そのものを表しているのだろう。

もし、自分たちのやっていることが法則に適っているのなら、時機の来た人が必ず引き寄せられて来る、という信念で進むしかない。

シルバーバーチは、宣伝する必要はないと言っている。
だから、大っぴらな宣伝はせずに、このまま霊界が動いてくれるのを待つしかない。

縁のある人を導いて連れて来てくれるまで、自分たちの気持ちが萎えないように、2人だけの読書会を細々と続けることにした。

そんな中、2人で話していて、気が付いたことがある。
それは、今まで霊的に動いたと感じたのは、マイナスに流れそうな気持をプラスに転換し、強く決心した時だった、ということだ。

最初は天枝が1人で霊的真理を伝えようと頑張ったけれど、誰も振り向いてくれなくて、気持ちがどんどん下がって行った。
それでも何とかしたいと気持ちを持ち直した時に、無料配布冊子で読書会があることを知った。

結局、それがきっかけで読書会めぐりをすることになったが、どの読書会も自分の満足の行くものではなかった。
自分で何とかしたいと思った時に、妹の使枝からカフェ・レストランをやろうという提案があった。
灯台下暗しの導きに感動し、心から感謝したものだ。

ことが大きく展開する前には、必ず試されている感じがあった。
諦めなかったからこそ、信念が揺るがなかったからこそ、守護霊や、霊団の進化霊が認めて働いてくれたのだと確信している。

これから開こうとしている読書会も、霊界がバックアップしてくれるものでなければ意味がない。
たとえ進展があったとしても、俄か仕立てのものが長続きしないのはよく知っているからだ。

周りに迎合してレベルを下げればある程度は続くだろうが、真面目に取り組みたい人は、そうした読書会は望まないに違いないし、何より自分たちも望んではいない。

最初は誰でも参加できるものにして、だんだんとレベルを上げて行くことも考えた。
しかし、よくよく考えたら、自分たちでレベル云々と設定するのは、傲慢も甚だしい。

そもそも自分たちの霊格だって、たいして高くないだろうから、今できる精いっぱいのことを、誠心誠意込めてやって行くしかない。

それには、さらに深く読み進めなくてはいけないと思っている。
納得のいく読書会を開くためには、誰に何を聞かれても、何がどこに書いてあるかぐらいは答えられなくてはいけないのだから。

      

エテルナが開店して3か月ほどたったある日のこと。
時々コーヒーを飲みに来てくれていた女性がレジで支払いをする時に、「 シルバーバーチに興味を持ったので話をしたい 」 と言ってくれた。
やっと、やっと1人の人が申し出てくれた!

3人は隅のテーブルに座り、天枝は死後の世界、スピリチュアリズムとは、神とは・・・を、懇切丁寧にわかりやすく話した。
その人はじっと耳を傾けて聞いてくれて、帰り際に 「 また来ます。 ありがとうございました。」 と言って帰って行った。

「 やっとだね。 間違ったことを言わなかったかしら。」
天枝はそう言いながら、体と心の深いところがジンジンするほどの至福感と満足感を味わい、初めての縁だから大切にしようと思った。

その人は日を空けずにまた来てくれるものとばかり思って待っていたのだが、2日たっても、3日たっても来ない。
更に2週間たっても来なかった。
何か気に障ることでも言ったのだろうか。

それ以降、話をしたいと言う人は現れるのだが、話をするとすぐに来なくなる。
どうしてなんだろう、何がまずいんだろう・・・
2人して考えたが、いくら考えても思い浮かばない。

喫茶店の客の入りはまあまあで、大幅な利益こそないが、うまく行っている方だと思う。
それだけが2人のやる気を繋いでいた。

そんな状態が更に半年続いた。
どだい、自分たちが動かずに読書会を開こうなんて、安易すぎる考えだったのかもしれない。

もっと自分たちが動いて人を集めるべきなのだろうか。
それとも、読書会という仕事は、自分たちには任せられないということなのだろうか・・・・・

そんな思いが悶々と続いた。
それでも頑張って続けて行こうと気を強く持ち直した時、初老の男性が小冊子を持ってお店に現れた。
男性: あのう、この冊子を読んだのですが・・・
そう言って小冊子をレジのところに置いた。


男性:
妻が持って帰って来たようで、台所のテーブルの上に置いてあったんです。
それをちょっと読んでみて、興味を持ったんですがね。
私は今まで色々な宗教をかじりましたが、どことも違う雰囲気と内容だと思いました。
これを書いた人は、さぞかし高名な方なんでしょうな。


今までの経緯から、この人も1回話しただけで、すぐに来なくなるのかもしれない、という不安がよぎった。
そうなると、心が身構えてしまい、なかなかテンションが上がらない。
それでも、もしかしたら続けて来てくれる人かもしれない、力を抜いてはいけない、そう考え直して話し始めた。


天枝:
これを書いた、というより、亡くなってからメッセージを送って来てくれたのがシルバーバーチという人で、もうこの世には存在しない方なんです。
ただ、シルバーバーチという名前は本当の名前ではなくて、中間霊媒の名前らしいのです。
実は、この中間霊媒もすでに他界しているのですが、元のメッセージを、その中間霊媒を通して、更に地上で肉体を持った霊媒の口を通して語られたものなんです。
その語られた内容を何人かの人が記録して、それをまとめたものが 『 シルバーバーチの霊訓 』 なんです。


男性:
恐山のイタコとか、霊能者のような感じなんですか?


天枝:
んーそうですねえ、似てはいますが全然違います。
イタコとか霊能者は霊媒で、その人たちを通して亡くなった方と話をするんですよね。
シルバーバーチもすでに亡くなった人ですから、霊媒を通して話をする形はイタコと同じです。
でも、話の内容と目的は全く違います。


男性:
では、霊現象を伴う宗教なんですか?


天枝:
いえ、いわゆる宗教団体とは違います。
どの宗教にも開祖がいて、その方たちは地上で生きている間にメッセージを残し、それが経典になって、今日まで引き継がれていますよね。
シルバーバーチは開祖ではないので、宗教という組織はもちろん、経典もなければ教祖もいません。
むしろ、組織を否定しているぐらいです。
彼のメッセージは、質疑応答という形で個人に直接答えていて、その内容をまとめたのが 『 シルバーバーチの霊訓 』 なんです。
今は書物でしか学べないのですが、内容を読んで自分で学び、納得したら自分の責任において実行する、という形態をとっているのです。


男性:
教祖がいないとなると、読む人が自分勝手な理解をして、実行してしまうことも出てくるわけですね。


天枝:
そうですね、それはあり得ます。
ただ、誰の心の中にも道義心がありますから、それに素直に照らし合わせれば、それほど間違いはないはずです。
もし間違ったと気が付いたら、修正すれば良いのです。
間違いと修正を繰り返す中で人は成長するんだと思います。


男性:
うーん、なるほど。
予測していたことと全く違っていました。
この冊子は、そのシルバーバーチの言葉を抜粋したものですよね。
シルバーバーチの元の本はどこに行けば手に入るのですか?


天枝:
大きな書店に行けば何冊も出ていますから、手に取って読みやすいのから読まれたらいいと思います。
もし扱ってなければ、ネットで検索すれば出てきます。
ここにも貸し出し用に何冊か置いていますから、お茶でも飲みながら、ゆっくり読まれたらいかがでしょう。
お気に召したのなら、お貸ししますから、お宅でじっくり読んでみて下さい。


男性:
貸していただけるのですか。
では、ここで少し読んでみて、それ次第でお借りするかもしれません。


そう言って、その人は2時間ほどエテルナで時を過ごし、続きを読みたいからと言って、1冊借りて行った。

この人が帰った後で、それ以前の人たちがなぜ来なくなったのかわかったような気がした。

この初老の男性には聞かれたことを中心に話したが、今までの人には天枝が話したいことを一方的に話してきた。
もしかしたら、それで圧力を感じたのかもしれない。
立て板に水の熱弁をふるったので、宗教っぽいと感じたのかもしれない。

霊的真理を語るのも大切だが、まずその人と仲良くなって信頼関係を作る方が先だったのかもしれない。
自分が伝えたいことを言うのではなくて、相手が知りたがっていることに応えるのが先だった。
そうした人間心理も、読書会を進めて行くにはとても大切なことだということが分かった。

そうか、だから読書会では交流を大切にするんだわ。
でも、毎回レストランで食事をしたり、カラオケに行くのは・・・

とにかく、相手が何を望んでいるか、何を知りたがっているのかを見極めないといけないのね。
初心者と、ある程度読み進めている人とでは話の内容も変えないといけないし。
1人でも多くの人に霊的真理を学んでほしいと思っているけど、本当は、私たちが学ばされているんだわ。

それから10日ほどして、この前の男性が本を返しに来た。
当然のように、天枝は感想を聞いてみた。


天枝:
読んでみていかがでした?


男性:
いやあ、読み応えがありましたよ。
今日も1冊借りて行きたいのですが、よろしいでしょうか。


天枝:
もちろんです!


今回ばかりはちゃんとした感想が聞けると思っていたけれど、読み応えがあるというひと言で終わってしまった。
期待が外れて物足りなさを感じたが、自分で話したいと思ったら、きっと話してくれるに違いない。
それまで気長に待つことにした。

そうしたことがあってから、天枝も使枝も、話したいと言う人に対して、話の進め方を変えてみた。
すると、2回、3回と、継続して話せる人が少しずつ増えて来たではないか。
やはり、自分たちの話し方がまずかった。
一方的に話すだけではいけなかったのだ。

初老の男性は、3冊借りて返しに来たところでパッタリ来なくなってしまった。
それでも、更に半年ほどした時に顔を見せてくれた。


男性:
お久しぶりです。
あれから自分でシルバーバーチの霊訓を買い揃えましてね、ずっと読んでいたんですよ。
今まで宗教というものに疑問を持っていたのですが、その疑問のほとんどが払拭されました。
神という概念も宗教で説いているのとは全く違っていて、むしろ納得がいきました。
人間は死んで終わるのではないというのも良くわかりましたし。
あとは、生きているうちに自分は何をすべきか、それを自覚して実行しないといけませんな。
どの宗教書でも、結局は実行しないと意味がありませんからなあ。


それだけ言うと、初老の男性は帰って行った。

シルバーバーチの霊訓を買い揃えたと聞いて、飛び上るほど嬉しかった。
一緒に読書会ができるかもしれないと期待していたが、それより何より、あの男性が霊的真理を受け入れてくれたことが何より嬉しかった。

しかし残念ながら、そそくさと帰っていたあの様子を見ると、一緒に読書会で学べる人ではないかもしれない。
そんな感じがした。

焦ってはいけない、じっくり構えて時機が来るのを待つのだ。
イエス様はご自分の死から2,000年もの間準備をされた。
シルバーバーチもインペレーターも、何十年もの準備をしてから地上に働きかけた。
自分たちはまだ1年そこそこではないか。
ならば、進展しないのは当たり前。

そう考えることで、2人は何とか気持ちを落ち着けることができた。

この時、エテルナを開店してからまだ1年半。
読書会なんてすぐに開けると思っていたが、甘かった。
定期的にできるには、まだまだ時間がかかりそうだ。

 ― end ―

2012 / 02 / 13 初編
2015 / 01 / 04 改編

 

 




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