スピリチュアリズム 

スピリチュアル・カウンセラー
天枝の日誌

第5話
「 読書会めぐりを経て 」

「 エテルナ 」 では、毎週土曜日の午前に読書会を開いている。 参加しているのは天枝と妹を入れて5人ほどだが、ここに至るまで様々なことがあった。

天枝がシルバーバーチを知ったのは大学生の時。
その頃、妹はまだ高校生だったが、ある日のこと、友人から 『 シルバーバーチの霊訓 』 を薦められたと言って買って来た。

本の表紙が気に入ったとかで、しばらくの間オブジェの一つとして机の上に立てかけられていた。 しばらくそのまま置いてあったところを見ると、買うだけ買って読んでいなかったのではないかと思う。

天枝は、その本がとても気になり、手に取って中をペラペラめくってみた。 すると、今まで読んだことのない内容と雰囲気に魅かれ、その場に座り込んで、ぐいぐいと押されるように読み進めた。

これが天枝と 『 シルバーバーチの霊訓 』 の最初の出会いになった。

内容は納得できることが多かったが、きっちり理解しようとすると難しいことだらけ。 サラッと読めば当たり前と思える内容でも、じっくり読むと、とても奥が深くて、わからないことだらけになった。

読み終えるのに1週間かからなかった。
その後は自分で買い足して、半年で全巻を読み終えた。

その後も何度も読み返したが、読むたびに初めて読むような新鮮さがある。
読むたびに、前とは違った箇所に目が留まった。

心の深いところから理解したくて、思いっきり神経を集中してみると、自分の心が研ぎ澄まされていく。
そして、魂が洗われるような清々しさを感じて、心が充電されているように感じたものだ。
もちろん、それは今でも変わらない。

こうした霊的な書物を読破すると、大抵の人は特別な知識を得たように感じ、自分に与えられている使命は何かと考え出す。
天枝も同じで、この真理を伝えるのが自分の使命だと思い、是が非でも多くの人に早く伝えなければ、という焦る気持ちが湧き上がった。

とりあえず、家族や仲の良い友人に伝えようと思って 「 霊界はある。 神は法則として存在している 」、ということを話してみた。

しかし、なかなか受け入れてもらえない。
自分の話し方が悪いのか、それとも相手の理解力が乏しいのか・・・
言葉では言い表せない苛立ちばかりが湧きあがった。

こうした苛立ちは誰もが体験する壁だとわかったのは、かなり後になってからだ。

時が経つにつれて、仲の良かった友達とは価値観が合わなくなり、周りの人たちが低俗に見えるようになってきた。

今までは、友達と会うと、恋愛の話、合コンに行った話、ファッションの話をするのが楽しかった。
ところがこの頃になると、そうした話題には興味がもてなくなり、逆に、こんな話題しかない人たちなのかと、落胆にも似た思いさえ湧き上がるようになった。

そして思うことは、若い自分でさえ理解できるのに、両親はなぜわからないのだろうと。
友人たちに話すと、「 それがどうしたの?」 とでも言わんばかりだし、母親に至っては 「 またその話なの? いいかげんにしてよ。」 という始末だ。

尊敬できる准教授に話してみたところ、「 そんなことにのめり込むと抜け出せなくなるぞ。」 と新興宗教にでもハマったかのような言い方をされた。
その中で唯一妹だけは、内容を深める話はできないが、感想ぐらいは話せた。

理解してもらえない状況が続くと、信念が出来上がっていない人間のやる気は、いとも簡単に萎えてしまう。
あの勢いはどこへ行ってしまったのかと思うほどに、真理を伝える意欲が失せてしまう。

これは、スピリチュアリストが通る第一の関門なのかもしれない。
天枝もこの関門で心が折れ始めていた。

あれほど張り切って真理を伝えようと努力していたのに、誰もわかってくれない。
分かろうとしないだけでなく、何だか胡散臭い目で見られているようにさえ感じる。

このように何一つとして思い通りにいかない状況が続くと、前に進もうと思っても、どうしても気弱になってしまう。

真理を伝えるのって簡単だと思ってた・・・
自分でさえ感動したのだから、他の人も感動すると思ってた。
私みたいな軟弱で未熟な人間が霊的真理を伝えるなんて、思い上がっていたんだわ。
いっそのこと誰にも伝えずに、自分だけ理解していればいいのかもしれない・・・

そんなふうに考えるようになっていた。

真理を伝えるのをあきらめかけていた時、地域の無料配布の冊子に目が行った。
いつもはパラパラと見ていただけだが、この日は 「シルバーバーチの読書会に参加してみませんか」 というフレーズを見つけ、目が釘付けになった。

いた!
同じ思いの人が近くに居たんだわ!!

天枝の心は小躍りし、急いで申し込んだ。
どんな人たちが集まるのか、どんな話が聞けるのか、どんなことが学べるのか、心は浮足立った。

読書会に集まったのは10人にも満たなかったが、第一印象としては、世俗にまみれた傲慢さは感じない。 どの人も自然の中で健気に生きている人たち、という感じだ。

会が始まった。
まず、主催者が概要を話してくれた。
初参加の人に対する気遣いなのだろう。

初参加の人は天枝を入れて2人だった。
もう1の人は40代だろうか、がっしりとした体格の男性だ。
常連さんは女性の方が圧倒的に多く、男性は1人しかいなかった。

まず、常連さんの自己紹介から始まり、そして、初参加の自分にも番が回ってきた。
天枝は、当たり障りのないことを手短に話したが、もう1人の初参加の男性は、『 シルバーバーチの霊訓 』 に出会う経緯から心情の移り変わり、今現在自分が実践していることなどを長々と話した。
天枝はただただ 「 スゴイなあ、私なんか足元にも及ばない人だ。」 と敬服して聞くしかなかった。

その人は、シルバーバーチに出会ったことは奇跡だと声を大にして言った。
しかし、天枝はその言葉にいささか引っかかった。

今までの数少ない体験からしても、『 シルバーバーチの霊訓 』 を手にする人は多いが、読んでも途中で読むのをやめてしまったり、読まずにそのままにしてしまう人の方が多い。

現に、天枝たちは友人や家族にシルバーバーチの話をしたし、本も見せた。
ところが、理解するどころか、耳を貸そうとする人さえいなかったのだ。

そうか、両親や友人が霊的真理に興味を示さなかったのは、受け入れる時機が来ていなかったからなんだわ。

初参加の男性の話を聞きいている一方で、シルバーバーチの説いている 「 時機 」 というものがすんなり実感として伝わってきた。

これって、霊界からのインスピレーションなのかしら。
理解することと実感することって全然違う。
今私は守護霊と繋がっていて、ストレートに教えてもらっている感じがする。
それに、今までは理解していたつもりだったけど、実感できなければ、本当に理解したとは言えないのね。
今やっと、それがわかったわ。

そう思うと、『 シルバーバーチの霊訓 』 に出会ったことが奇跡なのではなく、真理を受け入れて理解できたことが奇跡なんだと気が付いた。

そう実感できたのは、この読書会のおかげで、自分の心が高まったからなのかもしれない。

皆にそれを言おうと思ったが、なんだか “ そんなこと ” と言われそうで、最後まで言えなかった。

読書会の予定時間は2時間なのだが、そのうち半分の時間が初参加の男性のお話しになってしまったのにはいささか驚いたが、その人に出会えたことには、少なからず価値を感じた。

その後、主催者が、


主催者:
今日は質疑応答と言う形で進めて行きたいと思います。


と言うと、常連さんの1人から質問が出た。


常連A:
あなた方が自分のことを忘れて人のために精を出す時、あなた方を通して大霊が働くのです
とあるけれど、具体的に神はどのようにして働くのでしょうか。


すると、初参加の男性が答え始めた。


男性:
自分の道具意識が強くなると、神が働きます。
道具である自分を通して、相手の人に霊的エネルギーが伝われば、病気が治りますから。


常連B:
神の霊的エネルギーが相手に伝わると病気が治るんですか?


男性:
はい、そうです。


天枝は、「 神が働く 」 というのは、確かにヒーリングの中に見ることができるが、それだけではないと思っている。
善意のあるところには、当たり前のように起こる現象だと理解していた。

というより、いたるところに神からの霊的エネルギーが充満していて、そこに人の善意が加わることで、他の人の心に良い影響が与えられたり、さらに善意を引き出したりする。

それを誰かのお蔭と見るか、偶然と見るか、神の働きと見るかは、その人の霊性による感じ方の違いだと思っている。

だから、ヒーリングに特定されてしまったことに違和感を感じたのだ。
それに、病気が治るのは神が働くほんの一面にすぎない。

現象はどこにでも見られるけれど、最上のものは、霊性が開花し、霊的に成長することだと言いたかったが、言葉をはさむ余地はない。

初参加にもかかわらず、その人は自分の考えと体験を話し始めた。
自分には治癒能力があって、今まで多くの人の病気を治してきた。
その際、どの人も温かさを感じたり、目を瞑っていて光が見えたり、微量ではあるけれど掌に電気を感じたりと、状況は多種多様に至ったと言う。

そうした話から始まり、自分は金銭は一度も貰ったことはない。
ガンの人が治ったこともあるし、肝炎や腎臓病の人も治った。
「 神はご自分のエネルギーを、自分を通して病気の人に流している 」、と 聞きようによっては自慢話とも取れる内容が続いた。

他の人たちは誰もが、耳を研ぎ澄まして聞いていたが、天枝は途中から少々うんざりしてきた。
しかし、誰も彼の話を止めようとはしない。
それどころか、みんな興味津々で、食い入るように聞き入っている。


主催者:
私たちもその感覚を体験したいのですが、病気の人が居なければだめですか?


男性:
いえ、治療をすることだけがヒーリングではありません。
やってみましょう。


それから、読書会の場が急遽ヒーリングの場に変わってしまった。


常連A:
スゴイです!
なんだか、肩こりが和らいだみたい。


常連B:
私は目の前が明るくなって、身体中が温かくなりました。


常連C:
目を瞑っているのに、目の前がパッと明るくなりました。


そんな言葉が飛び交い、誰もがヒーリング能力を絶賛したが、天枝は更に言いようのない違和感を感じた。

ヒーリングは霊力を証明し、霊性を開花させるためのデモンストレーションのはず。
すでに霊性が開花している人たちが、霊力をこんなお遊びに使ってもいいものなのか。

そうは思っても、またしても言えなかった。

とりあえず、その日の読書会はこれで終わることになった。
と思ったら、実は終わってはいなかった。

二次会と称してレストランに移動し、食事をしながら話の続きをしようと言うことになった。

常連さんに聞いたら、これはいつものことで、読書会の後はカラオケに行ったり、飲みに行くことで交流を深めるのだそうだ。

天枝もついて行ったが、期待は見事に裏切られ、興ざめしてしまった。
霊的真理を更に深く理解するために意見が飛び交うものとばかり思っていたのに、そうしたことが全くなかったからだ。
カラオケも飲みに行くことも、本人たちにとっては交流のつもりなのかもしれないが、天枝はそうは思えなかったのだ。

自分が求めていたものと全然違う。
自分は真理を理解したい。
実践したい。
実践した人の話、苦しみを乗り越えた人の話、霊界がどのように動いてくれたか、そうした実体験の話が聞きたいのに。

ところが、ここに集まっている人たちは現象と交流を望んでいる。
この人たちにとっては、この交流の仕方が合っているのだろう。
しかし、自分はどうしても馴染めないし、合わない。

もしかしたら、という淡い期待を持ちつつもしばらく通ってはみたが、しだいに馴れ合いの雑談が多くなってきた。
そうなると更に行く気が無くなり、結局5回行っただけでやめてしまった。

それでも、自分の求めるサークルがあるかもしれないと思い、他の読書会を探した。

次に見つけたところは前のところとは大幅に違っていた。
まず、主催者の祈りから始まり、続いてCDを聞いた。
そのCDと言うのは、主催者が属しているサークル独自の冊子を朗読したものだった。

質疑応答の時間もあったが、その質問に答えるのは主催者だけで、厳しい話、理想論ばかりが出て来た。

最後に感想を聞かれ、参加している人は口々に 「 参加して良かった。 たくさん学べた。 良い雰囲気の中で心が洗われた。」 と当たり障りのない感想を言い、それ以上はあまり語らなかった。

この人たちは何を学んだのだろう。
具体的にそれをどう生かしているのだろう。
それが聞きたいのに。

聞ける雰囲気ではなかった。
張り詰めた雰囲気がそうさせたのかもしれない。
その雰囲気が心地良いと思っている人たちが通って来ているのだろうが、天枝は何かしら縛られている感覚、真理の理解の仕方をコントロールされているような感じがしてならなかった。

最後は副主催者の祈りで終わったが、全体を通して、既存の宗教のような無言の圧力を感じたため、天枝はここも自分には合わないと思い、3回通っただけで行くのをやめた。

その他の読書会にも参加したことがある。
そこでは、一応シルバーバーチの霊訓を持参するようにということだったが、行ってみると出席者が順番に半ページずつ声を出して輪読し、一章分を読み終えたところで終わった。

声を出して読んだからと言って、内容を深く理解できるわけではない。
お互いに簡単な感想を言い合うだけの無味乾燥した読書会だったので、ここは1回で辞めた。

他のところも参加してみたが、そこは読書会とは名ばかりで、雑談ばかりに終始し、何のために会を開いているのだろうと思えるところだった。
話の内容は時々スピリチュアリズムに関することも出たが、天枝から見たら雑談と変わりなかった。
結局ここも1回で辞めた。

天枝はどの読書会に出ても満足が行かなくて、悶々とするだけだった。

妹はというと、高校を卒業したが、大学へは行かずに調理師学校に入り、調理師免許を取得した。
彼女は彼女なりに考えていたらしく、スピリチュアリズムを基盤にしたカフェ・レストランを開きたいと言い始めた。

先に霊的真理を知った自分が人に伝えるには何をしたらいいのか、それをずっと考えていて行きついたのだと言う。
妹は、シルバーバーチの霊訓を買って来ただけでそれほど読んでいないと思っていたら、とんでもない、しっかり読破していたのだ。

天枝は、『 灯台下暗し 』 とはこのことだと思うと、霊界の導き方に驚き、深く感謝した。

妹が考えたレストランを開業するには、当然のことながら資金がいる。
実は、天枝はアルバイトで結構貯めていた。

元々、お酒もタバコもギャンブルもやらないし、旅行も好きではない。
グルメにもファッションにも化粧にも興味がなかったから、友達からは付き合いが悪いと言われてきたし、異性からは面白味に欠ける女だと言われてきた。
お金の使い道がなかったから自然に貯まっただけだが、ここに来て、無駄な使い方をしなくて良かったと心底思った。

シルバーバーチは白樺と言う意味だから、白樺の木をオブジェとして置き、グリーンも多くして、高原の中にいるような雰囲気にしたい、ということでその線で進めて行くことになった。

適当な店舗も見つかり、開店に向けて奔走した。
場所は県立高校の斜め向い側。

準備には3か月ほどを費やした。
食器や器具選び、内装、材料の仕入れ先を見つけたりと、とにかくめまぐるしく忙しかったが、新しくなるために奔走するのは充実していた。

ただ、当初と違ったのは、カフェ・レストランではなく、誰もが気楽に入れるような喫茶店にしたことだった。
もちろん、軽食にも力を入れることにした。

こうして スピリチュアリズム・カフェ 「 エテルナ 」 が誕生した。

今でこそスピリチュアル・カウンセラーをやっているが、この時はまだ読書会を開くことしか頭になかった。

とにかく、自分が理想とする読書会を開きたい。
その一心だった。

レジの後ろにホワイトボードを置き、そこには簡単なシルバーバーチの言葉を書きたかったのだが、妹が宗教っぽいからやめた方が良いと言うので、断念した。
その代わり、格言的なシルバーバーチの言葉を小冊子にまとめ、レジの横に置くことにした。
気が付いて手に取った人で、欲しいという人に差し上げるためだ。
そして、最後のページに、「 読んだ感想をお聞かせください 」 と書くのを忘れなかった。

用意万端整い、こうして開店の時を迎えた。


 ― end ―

2012 / 01 / 20 初編
2014 / 12 / 06 改編

 

 




inserted by FC2 system