スピリチュアリズム 

スピリチュアル・カウンセラー
天枝の日誌

第15話
「読書会 ― “物” に惑わされない生き方 」

ここ数年、異常気象が続いている。
夏は異常に暑いかと思えば、秋の到来が早かったりするし、冬は冬で、暖冬かと思えば大寒波が訪れたことで水道管が凍り、生活に支障が来たりする。
こうした状況が続くと、世の中ではまたしても終末論が飛び出しそうだ。
そんな中、天枝は忙しさの極みで、読書会を2回ほどお休みにしていた。

この日は、3週間ぶりの読書会となる。

松 本:
久しぶりの顔合わせですなあ。
皆さん、お元気そうで良かった。

塩 谷:
今まで毎週会っていただけに、2回もお休みが続くと本当に久しぶりという感じがしますね。

天 枝:
皆さんはどんな日々を過ごしてました?

松 本:
妻はこれ幸いにと、旅行に行きたいと言い出しまして、お付き合いで九州まで行ってきました。
長崎は観光名所が多かったので、かなり楽しめました。

塩 谷:
俺はまあ、ほとんど寝てました。
というより、寝て本を読んでいたというか。
以前は、暇を持て余すとゲーセンに行ったりしていたんだけど、今回は行く気がしなくて、普段読めない本を読んだりしてました。
この集まりがなかったのは寂しかったけど、それなりに充実してたと思います。

美知恵:
私は、意義深い日々を送っていました。
松本さんと同じで、久しぶりに家族で出かけました。
他の宗教で学んでいた時は、家族で出かけても砂を噛むような味気無さというか、虚しい時間を我慢して過ごしている感じだったけれど、今回は、一緒に居られるだけで嬉しくて、不本意にも涙が出てきて、それを隠すのが大変でした。
家族の温かさに触れて、とても穏やかな日々でしたが、その分、この世的になっていたかもしれません。
天枝さんたちはどんな日々を過ごされていたんですか?

天 枝:
最近、カウンセリングの依頼が増えて、右往左往していたんです。
カウンセリングをするだけなら特に変化はないのですが、ある人の私生活に入り込んでしまったために、いろいろとお世話をしなければいけないことが出てきてしまって。
その始末をするためにお休みにさせていただきました。

使 枝:
ついでに、私も引っ張り回されました。

天 枝:
そうねえ、そうだったわねえ。
使枝さんがいてくれたおかげで、大事にならなくてよかった。

松 本:
大事というと?

使 枝:
ある人の離婚問題だったんです。
それも、ご主人の暴力がひどくて、駆け込み寺のようなところを探したり、引っ越しを手伝ったりしてました。
着の身着のままで家を出てきたので、家具も何もなくて、知り合いを片っ端からあたって揃えたんです。

松 本:
そんなことがあったんですか。
それなら私たちに言ってくれればお手伝いしたのに。

美知恵:
ええ、私も喜んで手伝わせていただいたのに。

天 枝:
それも考えたんですけど、私たちが走り回るだけで手は足りましたから。
もし次にこういうことがあったら、お手伝いをお願いするかもしれません。
その時はよろしくお願いします。

塩 谷:
時間がある限り、俺たちだって手伝いますから、遠慮なく言ってください。

天 枝:
ありがとうございます。
では、さっそく始めていきましょうか。
お祈りいたします。

(祈始)
天にいらっしゃる大霊様。
久しぶりの読書会で気持ちも新たに、全員がこの場に集まってまいりました。
以前は俗世にまみれ、あなた様の意向を何ひとつ汲むことができず、ただ自分たちが楽しければよいという生き方をしておりました。
しかし、今は、各自がそれぞれに自らを律し、あなた様にふさわしい霊性の下で学習できることに深く感謝申し上げる次第です。

私たちは、ごく平凡な人間ですから、大きな使命も何もございません。
しかしながら、魂が開花し、霊的に成長できるレールの上に乗せて頂くことができましたから、まだしばらくは霊的真理を理解し、霊性を深めるための日々を過ごしていきたいと思っております。
本日もまた、各自があなた様からのエネルギーを得る中で真理を広く深く理解し、実感できますように、どうぞお導きをお願いいたします。(祈終)

では、気持ちも新たに、第4章の “物に惑わされない生き方” を進めていきましょう。
よろしくお願いします。

全 員:
よろしくお願いします。

松 本:
今回の章は、煩悩を払拭するのにふさわしい学習ですな。
リビングで紅茶を飲みながらゆったりと読んでいたら、そんな読み方ではいけないような気になって、いつもの机に移動して読みました。

美知恵:
あら、私も似たような感じです。
たまには正座して読もうと思ったんですけど、足がしびれるから椅子に移動しました。(笑)

塩 谷:
俺はずっと寝転んで読んでましたけど、それではダメなのかなあ。

天 枝:
それは自分の気持ち1つです。
形に捉われるのではなくて、読んで理解したいという姿勢こそが大切だと思います。
自分で椅子に座って読んだ方が背筋がしゃんとするなら、そうすればいいし、寝転んで読んだ方が集中して読めて理解が進むのなら、それはそれでいいと思います。
でも、背筋を伸ばして読んだ方が気持ちがいいと思いませんか。

塩 谷:
んんん・・・そうか、そうですよね。
これから読む姿勢を変えて読んでみます。

松 本:
さっそくですが、

その日その日の煩わしい雑事に追いまくられ、心配事や悩み事を抱えた生活を送っていると、時としてあなた方は、なぜこんな目に遭わなければならないのかと思ったり、また、これもよくあることですが、気持ちの通じ合った仲だと思っていた人から冷たい態度に出られたりして、理想を求める旅路で初めて光を見た時の感激をつい忘れてしまいがちです。

これは耳が痛い箇所でした。

美知恵: 松本さんもですか。
実は私も同じで、自分が苦しい状況でいっぱいになると、自分はこんなにお祈りしているのに、どうしてこんな状況に追い込まれるのかと思ったことが何度かありました。
それに、同じ仲間だったのに、冷たい態度に出られると人間不信になりますしね。

天 枝:
人間不信になるのは、自分が相手に勝手な期待をしていたからではないかしら。
相手を必要以上に理想化して、それをその人自身だと勘違いしてしまうと、「 こんな人だとは思ってなかった 」 ってなるでしょ。

美知恵:
そうかあ、そうですよね。
自分で勝手に理想化しておきながら、相手が自分の理想と違う態度に出たからと言って、悲しく思うのは変ですよね。
そういえば、人間はみな未熟だから、と何度も言われていました。

天 枝:
自分が理想とする人であればあるほど、勝手に期待して、勝手に理想化したりするのが人間ですから。
そして、期待と正反対の行動をしたり、期待通りの結果が出なかったりすると、裏切られたと言ったりしますしね。

美知恵:
私も含めて、人間って、身勝手ですね。
自分は自分、相手は相手、と割り切ることも必要なんだわ、きっと。
で、次の個所ですが、

あなた方は本当の意味で、祝福を受けられた方たちです。
なぜならば、あなた方は地上のいかなる富も影が薄くなるほど高価な霊的知識の所有者だからです。

これって、本当なんでしょうか。
私はいまだにトラウマといいますか、仲間を裏切ったという感覚が抜けないでいます。
こんな自分が祝福を受けているとはとても思えなくって・・・
祝福を受けられた方たちというのは、シルバーバーチの交霊会に出席している人とか、天枝さんたちのことを言っているのであって、私なんか入ってないですよね・・・

天 枝:
魂が開花して、霊的真理の理解を深める努力をしている人なら、全部当てはまると思います。

使 枝:
霊的真理を素直に受け入れられたこと自体、素晴らしいことなんです。
美知恵さんは以前の宗教で訪問伝道をされていたから、そのあたりはよくわかるんじゃないかしら。

美知恵:
ええ、確かに訪問伝道で真理を受け入れてくれる人は本当に少なかったから、使枝さんの言っている意味はよくわかります。
玄関を開けて、私たちの話を聞いてくれる人はすごく少なくて、真理を受け入れて勉強しようとする人は更に少なかったです。
私は真理を受け入れて勉強してきた1人ですから、今さらながらに貴重な存在なのかもと思えてきました。
こんな風に思うのは傲慢なんかじゃないですよね。

天 枝:
ええ、傲慢なんかじゃないです。
美知恵さんは真理を前向きに捉えていらっしゃるし、家族のことを考え、それ以上に自分を役に立つ存在にしたいと思っていらっしゃる。
何より、霊的真理を深く理解しようとしているのですから、シルバーバーチの言う 「高価な霊的知識の所有者」 です。

美知恵:
そう言って頂けてホッとしました。
ありがとうございます。
これからも頑張ります。

塩 谷:
次の個所って、霊界と地上の価値観の違いのことですよね。

私どもは地上生活を物的視野でなく、価値観も異なれば判断の基準も異なる霊的世界から眺めております。
その視野からの判断の方が遥かに真実に近いと信じています。

霊界と地上の価値観は同じだと思っていたけれど、それは間違いで、すごく違うってことなんですね。

天 枝:
私も霊界の具体的なことはわかりませんが、真理を学び続けてきて思うことは、霊界と地上では、価値観が正反対の場合がよくあるということです。

松 本:
と言いますと?

天 枝:
例えばですが、地上では何だかんだと言っても、高い技術力を持っている人とか、容姿端麗な人がもてはやされます。
もちろん、全員ではありませんが、容姿にばかり気を配って自分の中身を高めようとしない人が多いのは事実です。
誰でも霊界に行ったら若返るので、向こうでは表面的な容姿は意味をなさなくなります。
金銭にあくせくしている人も同じです。
地上では、財産をたくさん持っている人とか、地位のある人が一目置かれますが、霊界に帰ると、そういう人生を送ってきたことが恥ずかしくなります。
そういうのはまったく意味をなさないどころか、自分の魂を汚しているのと同じですから。

松 本:
なるほど、そういうことですか。
確かに正反対ですな。

塩 谷:
やっぱり、一番価値があるものは霊的成長、ということですか。

天 枝:
ええ、その通りです。
私たちは、成長するために地上に生まれてきたのですから。
霊界で一番価値があるものは “愛” ですが、何のために愛が存在するのかというならば、人間を霊的に成長させるため、と言っても過言ではないと思います。
もちろん、神が人間を作られた目的もそこにあると聞いています。
全ては連動しているのですから、どれが一番ということはないのかもしれませんが。

塩 谷:
なるほどねえ。
次のこの箇所は、誰にでも当てはまることですか?

奉仕の情熱、落胆、試練、そして悟り、このパターンの繰り返しです。
これは魂が自我に目覚め、内在する神性を開発せんとして必死にあがく一種のシーソーゲームのようなものです。

天 枝:
ええ、否応なく、誰でもこのパターンにはまっていると思います。
使枝さんはどう思います?

使 枝:
四季の繰り返しと同じですよね。
霊的真理を伝えようと決心すると、最初は情熱だけで突っ走ります。
ところがそんなにうまくは行かないから、あまりにも自分の無能さを感じて落胆します。
這い上がろうとすると落ちてしまうので、これを試練と言っていいかもしれません。
ところが、試練が厳しければ厳しいほど悟りも大きくなるし、悟ることが増えれば情熱が湧きあがります。

天 枝:
4つがまんべんなく回るのではなく、行ったり来たりのこともあれば、意外にスムーズな時もあるように思います。

美知恵:
確かに、思い返すとそんなパターンになっているように思います。
霊的真理を伝えることだけでなく、どの人の人生もそうなっているような気がするのですが。
夫婦だってそうですよね。

松 本:
そうですね。
最初は恋愛で情熱だけ。
ところがいざ結婚してみると、こんなはずじゃなかった、と落胆する。
それからが試練の連続で、うまくやろうとすればするほど空回りしたりします。
でも、お互いに寄り添おうと努力し続ければ、悟りというほどではないけれど、夫婦とか人生について色々考えさせられ、それなりにだけれど答えも出ました。
こうしたことを繰り返したことで、お互いの距離が縮まって、本当の夫婦になれたような気がします。

塩 谷:
なるほど・・・
次に書いてある “満ち潮と引き潮がある” ということにも通じるんですね。
次の個所の意味を説明してもらえますか。

内部の神性の開発は達成困難なものの中で最も困難なものです。

使 枝:
霊性が開発されるのはとても難しいことですが、神性の開発はさらに困難だと思います。
残念なことに、霊性が開発された人であっても、欲望に負けて魂の窓が閉じられてしまう人がいます。
本当に重要なのは霊性が目覚めてから、いかに神性を開発して発達させていくか、なんですけどね。

塩 谷:
その神性って、どんなものなんです?

使 枝:
私が感覚的に理解しただけなので、正しいかどうかわかりませんが、霊性と似ていると思います。
霊性はその霊独自の性質であり、霊的な個性ともいえる本人そのものだけれど、神性とは、霊性の核ともいえるもので、霊のずっと奥の方にある神の部分だと思うのです。
後ろの方でも出てきますが、シルバーバーチは、「人間は神の一部」という表現で表しているのに通じると思います
天枝さん、どう思います?

天 枝:
使枝さんの言う通りかもしれないわね。
ただ、これが神性です、と言ってお見せできるものではないし、いくらうまく説明してもらったとしても体感していなければ想像の域を出ませんから。
私も使枝さんと同じ考えではあるけれど、自分が理解している “神性” が、本当の神性なのかどうかはわからないんですよ。

塩 谷:
じゃあ、俺なんていくら説明してもらってもわからないということですね。

美知恵:
どう感じるかは個人で違うかもしれないので、自分でこれが神性の部分だ、と感じたら、その時にみんなに話して共有できたらいいなと思います。

天 枝:
そうね、それまで保留ってことにしましょう。

松 本:
次の個所は、すごくよくわかります。

人生はすべて比較対象の中で展開しております。
光も闇もともに神を理解する上での大切な要素です。
もし光と闇とが存在しなければ、光は光でなくなり、闇は闇でなくなります。
つまり光があるから闇があり、闇があるから光があるのです。
同じく昼と夜がなければ昼は昼でなくなり、夜は夜でなくなります。
愛と憎しみがなければ愛は愛でなくなり、憎しみが憎しみでなくなります。
その違いが分かるのは相対的だからです。
しかし実は両者は一本の棒の両端にすぎないのです。
元は一つなのです。
しかしその一つを理解するには両端を見なければならないのです。
それが人生です。
喜びと悲しみの両方がなければなりません。

この内容に通じるかどうかわかりませんが、会社にいたときによく感じていたことでもあります。
プレゼンを行うにあたって、制作過程の最初から最後まで全部知っているのと、出来上がった結果だけを見たのとでは大きな違いだといつも感じてきましたから。

塩 谷:
どういうことです?

松 本:
最初の会社では、プレゼンを受ける立場でしたから、その内容を説明してもらう中で、これは会社の利益に結び付くのかどうか、という感じで聞いていたし、採用するかどうかもプレゼンで判断していました。
つまり、出来上がった情報だけで判断していたんです。
しかし、次の会社では、自分がチームを組んでプレゼンを行う立場になったんです。
やってみて、企画を練るだけでもすごく大変だというのがよくわかりました。
結果だけ見たのでは、作る側の苦労はわからないし、どれだけ奔走したかもわかりません。
でも、作る側に立って初めてプレゼンを製作する苦労がわかったんです。
こんな話、わかりますか?

塩 谷:
わかります。
片方だけを知っているだけでは、本当に知っているとは言えないといことですね。

美知恵:
私は仕事のことはよくわかりませんが、冬の厳しい寒さを知っていれば、春の暖かさであったり、家の中のストーブの暖かさが本当に有り難くて、より心地よく感じる、というのと同じですよね。
でも、冬の厳しい寒さを知らない人は、暖かさが当たり前になってしまうのではないかしら。
比較することは差別することだと誰かが言っていたけれど、地上ではそれも必要だということなんですね。

塩 谷:
確かに、世界中が黒人だけなら、人種差別は起きないかもしれませんが。

松 本:
そうですかねえ。
同じ人種の中でも、誰でも自分が優位に立ちたいと思って差別をするんじゃないでしょうか。
日本だっていまだに同和問題が解決されていないのは、そういうことだと思うんです。
同一人種であっても、差別をすることで自分を優位にしたがる人は多いですから。

塩 谷:
同和問題ですか。
同じ日本人でありながら、確かにいまだに続いているみたいですからねえ。
俺なんか、同和問題と言われてもピンとこないし、部落出身だと聞いても、へえー、だから何? で終わっちゃいます。

美知恵:
同じ日本人なのに、いまだに差別があるなんて、時代錯誤もいいとこです。
人間を出身で判断するなんて、とんでもないことだと思います。
やっぱり、その人自身の中身で判断しなくては。

松 本:
これからは同和問題も自然消滅していくと思います。
早くそうなってほしいものです。

美知恵:
次の個所ですが、

地上生活に何一つ怖いものはありません。
取り越し苦労は大敵です。
生命力を枯渇させ、霊性の発現を妨げます。

とありますが、現実的ではない言葉のように思うのですが。

天 枝:
というと?

美知恵:
私はどうしても、北朝鮮で苦しんでいる人とか、シリアの難民とか、インドのカーストで最下層と言われているダリットの人たちのことを思い浮かべてしまうのです。
フィリピンでもそうですし、明日食べるものにも事欠くような生活をしているような人たちには常に不安が付きまとっているんだと思うのです。

使 枝:
確かにそうですね。
私もそう思うことがよくあります。
でも、それは地上的な考えではないかと思うようにしています。

美知恵:
地上的な考え?

使 枝:
ええ、そうです。
永遠の世界がなくて、今現在の地上人生だけなら、世の中は不公平だらけだけど、事実はそうではないですよね。
苦しみの中にいる人は、それなりの原因があって今があると思うのです。
過去に、それなりのことをしでかしていたとして、その償いとして現在があるのだとしたらどうでしょうか。
それを受けなければ、償いは終わらないのですから。
次のところに、どう考えて理解すべきかが書いてありますよね。

知らないから怖がるのです。
ですから知識を携えて霊的理解の中に生きることです。
取り越し苦労の絶えない人は、心のどこかにその無知という名の暗闇があることを示しています。
そこから恐怖心が湧くのです。
人間が恐るべきものは恐怖心それ自体です。

というように、無知だから怖い、ということではないでしょうか。

美知恵:
無知だから怖い?

使 枝:
ええ、そうです。
先が見えない状況に追い込まれると、誰でも不安になりますよね。
でも、先が見えていたらどうでしょうか。

塩 谷:
なるほどねえ。
ドラマなんか見ていると、ある程度の結末がわかるから、面白がって見ていられるけど、現実の人生は経過も結末もわからないから、不安だらけになるのかもしれませんね。

使 枝:
人間は、肉体は死んでも霊は永遠に生きる、ということを知っているだけでもずいぶん違いますから。

美知恵:
では、例えば北朝鮮の人たちですが、餓死者が多いと聞いています。
それに、密告社会だとも聞いています。
そういう中で不安を感じずに生きていくにはどうしたらいいのでしょうか。

天 枝:
やはり、霊的真理を知るしかないと思います。
この地上でも霊界でも、通貨となるのは “愛” ですから、どれだけ人の役に立つ人生を送ったのか、どれだけ善意で人に接したか、ということに尽きると思います。
もちろん、たとえ知っていたとしても、あの国でそれを全うするのは並大抵ではないでしょう。
でも、知っていれば、死ぬことは怖くないわけですから、ずいぶん違った人生になると思います。

美知恵:
あの国は、カルマが渦巻いているのですね。
だから、あの国に生まれてきたこと自体、それなりの償うべきものを背負っているということになるのでしょうか。

天 枝:
さあ、それは私にはわかりません。
でも、国自体がそうしたカルマを背負っているからなのでしょう。
過酷な状況で生きているということは、ハイリスク・ハイリターンとでも言いましょうか、愛中心の生き方をすれば、カルマが清算されて魂が大きく成長するけれど、人を踏み台にして生きたなら、さらにカルマが加算されて、その次に生まれてきた時はもっと過酷な人生になることを覚悟しなければいけないと思います。

美知恵:
日本に生まれた私たちは、北朝鮮の人やシリアの人たちのような苛酷さはないけれど、その分、場合によっては成長も緩やかだし、カルマの積み重ねも少ないと考えてもいいのかしら。

天 枝:
統計的に考えるならそうかもしれませんが、そんな風に割り切れることでもないでしょう。

美知恵:
では、摂理に沿った生き方をすれば次の世界はバラ色で、摂理に背いた生き方をすれば、必然的に酷い人生に追い込まれる、ということですか。

天 枝:
簡単に言ってしまえば、そうなりますが、霊的なことはいろいろなことが複雑に絡み合っているので、一概に割り切れるもではないのです。
地上でバラ色の人生が霊的に良い人生とは限りませんし、地上で過酷な人生が霊的に不幸だとは言いきれませんしね。
ただ言えることは、霊的真理を知っているのと知らないのとでは、天と地ほどの差になるということです。

松 本:
次の言葉を読んだ時、不覚にも涙がにじみました。

今と昔を比べるために過去のページを紐解いてごらんなさい。
そこに背後霊による指導のあとがありありと窺がえるはずです。

他の人に言ってもわかってもらえないと思って今日まで誰にも言ったことがないのですが、過去を振り返ってみると、いつも人ではない誰かに助けられていたように思います。
私の人生は波が激しくて、右に行こうか左に行こうか、前に進もうか、立ち止まって様子を見ていようか、というように悩んだり迷ったりした時が何度もありました。
そんな時こそ、何らかの力が働いて誘導されていると感じていたんです。
もちろん、その時は必死ですから何もわかっちゃいませんでしたが、心に余裕ができた時に振り返ってみると、本当に助けられていたと思ったんです。
それも1度や2度ではありませんでした。
・・・背後霊に守られていたのですね。

塩 谷:
俺もこれからそういう人生を歩いて行くんだろうなあ。
その時に、松本さんみたいに感じられたらいいなあと思います。

使 枝:
塩谷さんだってそれなりの人生を送ってこられたのですから、振り返ってみて助けられていたとか、何かを教えてもらった、というようなことがあるのではないですか?

塩 谷:
今はまだわかりません。
後でじっくり振り返ってみます。

松 本:
次の個所は耳が痛かったです。

そうした知識を手にした人でも、ややもすると日常生活の基盤である霊的真相を忘れてしまいがちであるということです。

忙しい時とか、霊的真理を知らない人と飲みに行ったりすると、真理を知らなかった頃の自分に戻ってしまうんですよ。
いま勉強しているような純粋な感覚はなくなってしまって、なんだか自分がドロドロした人間に思えてくるんです。
いけないなあと思いながらも、付き合いは断れなくって。

天 枝:
そういうのを繰り返しながら、霊的真理が根付いていくんですね。
霊的真理を知ったからといって、一足飛びに浄化されるわけではありませんもの。

松 本:
確かにそうですが・・・

塩 谷:
そう思えることこそ、純粋になろうとしている証じゃないんですかねえ。

松 本:
そう言ってもらえると救われた気持ちになります。

美知恵:
次の個所は、本当にそうだなあと思いました。

もしも神が私に何か一つあなた方へプレゼントすることを許されたとしたら、私が何よりも差し上げたいと思うのは、“霊的視力”です。

魂が開花したとしても、視野が狭かったら正しい判断ができないと思うんです。
私も、この霊的視力が欲しいです。

天 枝:
心配しなくても大丈夫です。
霊的視力というのは、霊的真理を学んで、理解が深まっていくにつれてどんどんついていくものですから。

美知恵:
本当ですか?

天 枝:
私事ですが、霊的真理を知る前は視野が狭くて、いつも目先のことに振り回されていました。
友達が自分のことをどう思っているのか、いやな気持にさせてしまったんじゃないか、嫌われているんじゃないか、とか。
自分のことしか見えていなかったっんです。
もちろん、今はそんな小さなことはどうでも良くなりました。
今では、自分の言動が相手の霊性にとって良い影響になっているかどうか、この問題は、永遠から見たらどう位置づけされるのか、というように変わってきましたから。

美知恵:
価値観が向上してきたということですか?

天 枝:
ええ、そうなるかしら。

美知恵:
価値観と言えば、結婚当初は主人とはよく気が合っていたけれど、真理を勉強すればするほど平行線になって、私も相手もイライラするというか、そんなことがよくありました。

塩 谷:
価値観が平行線というとですか?

美知恵:
考えが平行線と言った方がいいのかしら。
聖書の中に 『天国に宝を蓄えなさい』 という個所とか、『貧しい者は幸いです』 という個所があるんです。
お金とか物に価値を置いている人に、天国に宝を蓄えなさいと言うと、どれぐらい宝が貯まったのかは見えやしないのに、と言うし、貧しい者が幸いだと言うと、それはやせ我慢だと言うんです。
考えが平行線になってお互い譲れなくなるんです。
自分が勉強さえしなければ、こんなことにはならずに、ずっと仲の良い夫婦でいられたのかもしれないと考えたことが何度もありました。

塩 谷:
ああ、なるほどねえ。
価値観も理解の仕方も違うから、どうやったって相容れないわけなんだ。

松 本:
私も時々ですが、妻と平行線になるどころか、喧嘩にまでなることがありました。
価値観が違う人と一緒に居ると、何かにつけてズレというものが起こるべくして起こるんだなあと思います。
今は、私の方が寛容でいなければいけないと思うので、喧嘩は無くなりましたが、それでも心の中はモヤモヤしますよ。

塩 谷:
次の個所に進んでもいいですかねえ。

私にとって大事なのは “道具” です。
霊が地上に働きかけるには、人間という道具が必要です。
そこで、確実に霊波を受け止めてくれる霊能者を一人でも多く見出さねばならないというのが、いつもながら私どもにとって難題であるわけです。

“人間という道具” が必要だというのはわかりますが、それが確実に霊波を受け止められる霊能者となると、どれぐらいいるんですかねえ。

使 枝:
シルバーバーチが言っている霊能者と、私たちが考える霊能者というのは少し違うようです。
もちろん、生まれつき霊能力がある人がいるけれど、そのほとんどが見えるとか聞こえる人なんですよね。
でも、シルバーバーチの言う霊能者というのは、確実に高い霊波、つまり精妙な霊波を受け止めてくれる人、ということなので、霊格の高さのことを言っているのだと思います。
波長同調ということがありますから、霊界、それも高い霊界にいる人の霊波を受け止めるには、地上の人もそれに見合うだけの成長をしていないといけないわけです。
そう考えると、見えるとか聞こえるとか、いわゆる世間一般で言われている霊能者のことを言っているのではないと思います。

塩 谷:
ああ、なるほどねえ。

松 本:
次の個所は衝撃でした。

神の計画が変わることはありません。
あなた方が自らを変えて、その計画に合わせなくてはなりません。

今までは、人間の裁量次第で世の中が変わると思っていました。
人間の行き過ぎた計画とか、倫理に反することをやりすぎるせいで世の中のバランスが悪くなっていると思っていました。

天 枝:
確かに越えてはいけない線を越えてしまうことは往々にしてありますものね。
でも、どんなにやりすぎたからと言っても、神の計画が狂うことはないということなのでしょう。
計画が早まったり遅れたりすることはあっても、計画自体が変わることはないと思います。

松 本:
またしても、お釈迦様の手の平の上の孫悟空を思い出してしまいました。
何をどうあがいたとしても、しょせん神様の手の内にあるということなんですね。

使 枝:
孫悟空のお話はすごいですね。
霊界からのメッセージを受け取って書いたのかもしれません。

美知恵:
私は次の個所に理解が行きません。

神からの遺産を受け継いだ霊的存在として、あなたも神の一部なのです。
神はあなた方一人ひとりであると同時に、あなた方一人ひとりが神なのです。
ただ規模が小さく、胚芽的存在にすぎず、言ってみれば神のミニチュアです。
あなた方は神の縮図であり、その拡大が神というわけです。
霊性の高揚と成長と進化を通じて無限の神性を少しずつ発揮していくことによって、一歩一歩、無限なる神に近づいていくのです。

私も神の一部であり、神ということですよね。
こんな私が・・・と考えるとおこがましいというか、恐れ多いというか、実感とは程遠いです。
ただ、“胚芽的存在にすぎず” というところで少しホッとしました。
そして、胚芽が芽吹いて大きくなっていったら神になれるのかも、とも思ったのですが、やはり感覚的に全く分かりません。
天枝さんは自分が神だということを自覚されているのでしょうか。

天 枝:
私も皆さんと同じで、自分が神だとか、神の一部だなんていう自覚はありません。
でも、物の観方を変えればわからないでもありません。

美知恵:
天枝さんの感じている神の一部という感覚を教えてください。

天 枝:
シルバーバーチがいつも言っているように、こういうことを言葉で説明するのは本当に難しいことです。
でも、ちょっと頑張って話してみますね。
言葉上でいえば、神は大霊であって、私たち人間は霊です。
つまり、神がご自身の生命を人間に与えたことによって、人間は神の分霊になったことになります。
これは言葉上の理解ですね。
感覚的なことを言えば、早朝に散歩に出かけた時によく思うことがあります。
澄んだ空気の中を歩いていると、自然界の生命の息吹を感じます。
あの鳥は生きている、あの花も草も生きている、そして私も生きている。
神が大きな生命体とするなら、生命という共通した部分を与えられて自分が存在している。
神が大霊と言うなら、私は小さい霊であって、その霊という共通した部分で私は神と繋がっている、この身体の隅々まで神と同じ霊と生命が行き渡っているから生きていられるのだ、とひしひしと感じるのです。
簡単に言えば、こんな感じでしょうか。
私たちは神そのものではないけれど、生命、霊、を分けていただいたから存在していると思うのです。
ということで、私たちも神なのだと言えるのだと思います。

美知恵:
自分が感じたことがない感覚なのでよくわかりませんが、私もいつかは感じることができるでしょうか。

天 枝:
これは、あくまでも私の感じ方なので、同じように感じなければいけないということではありませんから。
でも、いつかは何かしらを感じると思います。

松 本:

なにも霊媒現象を通して働くばかりが霊力ではありません。
芸術家を通して、哲学者を通して、あるいは科学者を通しても発現することができます。

シルバーバーチの中には、『霊力』という言葉がよく出てきますが、『霊能力』と『霊力』ではどう違うのでしょうか。
最初は同じだと思って読んでいたのですが、どうも違うような気がしてきまして。
それと、『霊力』と『霊的エネルギー』の違いもよく分からないのですが。

使 枝:
訳者の方も、言葉を選ぶのに苦労されたのでしょうね。
私が理解している『霊力』を話してみます。
先に言っておきますが、いま理解していることは成長途上の私の理解なので、どうぞ参考程度に聞いてくださいね。
『霊力』 というのは、神の力と言いますか、霊界の霊たちを経由して流れてくる 『神の愛』 だと思うのです。
芸術家がよく 「来た~~~~~!」 なんて言うじゃないですか。
そうしたインスピレーションとか、科学者たちの閃きも 『霊力』 だと思います。
『霊能力』 は霊能者に与えられた特殊な力、つまり、見えるとか聞こえるの類です。
それと、『霊的エネルギー』 は、『生命力』 だと思います。
霊的エネルギーが枯渇すると精神的にも疲労が増してやる気がなくなるけれど、いくら身体が疲れていても、誰かを通して疲れが吹っ飛んだりすることがあるじゃないですか。
その力が 『霊的エネルギー』 じゃないかしら。

天 枝:
そうね。
前に2人でいろいろ話した時に、一時的な結論としてそういう答えを出したわね。
私も使枝さんが話してくれたことが、とりあえずの答えだと思っています。
あと10年もしたら、別の答えが出てくるかもしれませんけど。

松 本:
使枝さんの説明は端的でよくわかりました。
10年後、ここで皆さんと霊的真理の勉強が続いているといいですね。
その時に、天枝さんや使枝さんの感覚が今と変わるかどうかを知ってみたいです。

塩 谷:
一緒に始めたからには、ずっと一緒にやっていこうよ。

現代の地上には無数の“通路”を通して、かつてなかったほどの霊力が注がれております。
その通路は霊媒に限りません。
それとは気づかぬままに通路となっている人も大勢います。

さっきの使枝さんの説明を元にすると理解しやすいです。
俺でも 『通路』 になれるってことですかねえ。

天 枝:
もちろんです。
特に、霊的真理を学んでいる人たちを通して流れる霊力は絶妙なものがありますから、私たちの意識が神の方を向いている限り霊力は流れ続けます。
考えてみると、すごく光栄なことではありませんか。

塩 谷:
俺なんかが通路になれるなんて、考えてもみませんでした。
実感できる時が来ますかねえ。

天 枝:
もちろんです!
といっても、自分が通路になっていると実感できるのは自分自身を見てではなくて、相手を通して実感する程度かもしれませんが。

塩 谷:
いつかは感じたいです。
でも、それを実感するには真理をもっと理解しなくてはいけないだろうけれど、真理を机上の学問にしてしまわずに、実生活で活用しなくてはいけないということですね。

天 枝:
おっしゃる通りです。
いくら霊的真理を学んで深く理解しても、学ぶだけで過ぎてしまっては宝が半減ですから。
やはり、実生活で応用しなくてはいけませんものね。

使 枝:
ではそろそろ終わりにしたいと思います。
お祈りします。

(祈始)
天にいらっしゃる大霊様。
本日も皆が集まり、あなた様が作られた摂理を学ぶことができました。
世の中にはスピリチュアルと称して、霊現象を中心に表している書物が多く見られます。
高級霊からのメッセージとして、霊界の事実を示している書物もいくつかあります。
しかし、あなた様がつくられた摂理を深く語っている書物は「シルバーバーチの霊訓」以外には見当たりません。
こうしてシルバーバーチ霊を通して地上に示された真理を学ぶことができる私たちは何という幸福者でありましょうか。
これこそが本当の奇跡であると思えて仕方がありません。
この奇跡の真っただ中を歩かせていただいているのですから、私たちはそろそろ次の段階に進まないといけないと感じている次第でございます。
それが何かはまだまだ分かりませんが、大霊様が示してくださる道を躊躇することなく進みたいと思っております。
どうぞ、私たちをあなた様の手足としてお使いください。
成長が足りないことは重々承知しておりますが、それでも、大霊様のお仕事の針の先ほどでもお手伝いできたらこんな幸せなことはありません。
読書会を終わるにあたりまして、少しばかりのお祈りをさせていただきました。(祈終)

有難うございました。

全 員:
有難うございました。

天 枝:
では、次は「第五章」ですね。
また来週お会いしましょう。

 ― end ―

2013 / 04 / 09 初編
2016 / 08 / 13 改編

 

 




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