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スピリチュアル・カウンセラー
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天枝の日誌
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第22話 「 償いの道 」
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読書会の時、松本さんに言われたことがある。 |
「 |
天枝さんは謙虚で素直で、偉ぶったところがないですね。
普通なら、私があなたたちに霊的真理を教えてあげる、みたいな雰囲気が漂うと思うのですが、そういう感じが全く感じられない。
むしろ私たちの発言を立ててくださる。」
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そうしたことを言われると、天枝は困った顔をして下を向いてしまう。
松本さんはそんなところに謙虚さを感じているらしい。 |
しかし天枝は口に出しては言わないけれど、 |
『 |
私はそんなに立派な人間じゃない・・・私はダメ人間だから・・・』 |
と心の中で自己否定している。 |
天枝がそう思うのには訳がある。 |
誰でも、他人にはもちろん、家族にさえ言えないほどの過去が1つや2つはあると思う。 |
天枝がエテルナを始めたきっかけは、もちろん使枝を通してシルバーバーチに出会い、1人でも多くの人に霊的真理を伝えたいと思ったからだが、実は誰にも知られたくない、隠し通しておきたい出来事が大きく関係している。 |
シルバーバーチは折に触れて、 |
金塊もハンマーで砕かないと、その純金の姿を拝むことができないように、魂という純金も、悲しみや苦しみの試練を経ないと出てこないのです。
それ以外に方法がないのです。 |
と言っている。 |
ところが天枝は、自分にはそういう悲しみとか苦しみの体験をしたことがないと周りに言っている。
実はそうではなかった。
天枝の魂の目を覚まさせる程の とても大きな出来事があったのである。 |
それは天枝が中学3年生の時。
当時、天枝は私立の中高一貫の女子校に電車で通学をしていた。
バスなら家の近くに停留所があるので、そっちの方を利用した方が便利なのは分かっていた。
しかしバス特有の臭いが苦手だったので、少し遠いところにある駅まで自転車で行き、そこから電車で通学していた。 |
天枝が電車に乗る時間は社会人が利用する時間と重なるので、乗車率は200パーセントの殺人的満員電車。
目的の駅で降りられなかったり、多くの人が降りる駅では押し出されて乗り直すということが良くある。
幸いなことに、天枝が降りる駅は同じ学校の生徒が多いので、降りられなくて乗り過ごすことはなかった。 |
ある日、公共の乗り物を利用している女性なら誰もが体験するようなことが天枝の身にも起きてしまった。
それはなんと痴漢。
いつもは電車の真ん中の方で吊革につかまって立っているのだが、この日は出入り口近くのポールにつかまっていた。 |
するとお尻あたりが何やらモゾモゾする。
最初は気にも留めていなかったのだが、そのモゾモゾがだんだん強くなっていった。 |
「えっ? まさか、ち、痴漢?」 |
初めての出来事ということもあって、恥ずかしくて助けを呼ぶ声が出せなかった。
苦痛と恥ずかしさで唇をキュッと結び、身をよじりながらも必死に耐えるしかなかった。 |
涙を袖で拭っていると、誰かが痴漢と自分の間に割り込んできた。
別の痴漢かと思ったら体がさらに強張ってしまった。
しかし意に反してイヤな行為は止まった。 |
やっと降車する駅に着いたので、急いで降りた。
割り込んで入ってきてくれた人も後ろから押されるように、天枝と一緒にホームに降りてしまった。
その時その人を見て、有難うと言う意味でぺこりと頭を下げるのが精いっぱいだった。 |
その人は男性で、「危ないから気を付けてね。じゃあ。」
にっこり笑ってまた同じ電車に乗り込んでいった。 |
この痴漢行為は、天枝にとっては初めてのことで、ただただ気持ち悪く、怖さと恥ずかしさなど、マイナスの感情がマックスになってしまっていた。
知らない人が見たら、満員電車でぎゅうぎゅうに押されて血圧が上がっているぐらいにしか見えなかったかもしれない。 |
改札口を出るといつも待ち合わせをしているクラスメートがいてくれて、その顔を見たとたんに安堵の思いからか、抑えていた感情が一気に爆発して涙があふれ出した。 |
「 |
えっ、どうしたの?
何かあった?」 |
友達の顔がまともに見られなくて、顔を両手で覆うとしゃがみこんで泣いてしまった。
友達は驚いて訳を訊いたが、天枝はまともに話すことさえ出来ない。 |
やっとのことで歩きだしたのだが、しゃくりあげているので、ポツポツとしか話せない。
それでも友達はすぐにその内容を理解して、 |
「 |
あー、洗礼を受けちゃったんだね。
そうゆう男ってさ、病気なんだよ。
っていうか、狂ってる。
正常だったらできないことだもん。」 |
友達は一生懸命 心をほぐそうと話してくれたが、天枝の心が和らぐには時間がかかった。
少し話しては立ち止まり、また話しては立ち止まりでやっと学校に着いた。
とても授業を受けられる様子ではないので、友達は天枝を保健室に連れて行った。 |
保健室の先生は温かいココアを出してくれて、 |
「ゆっくり飲んでね。」 |
そう言いながら優しく背中をさすってくれた。
ココアを飲むうちに、凍っていた心が少しずつほぐれてきた。
やっとの思いで保健室の先生に訳を話すと、 |
「 |
そお、大変だったわね。
女性は多かれ少なかれ、そういう体験をしている人が多いのよ。
でもね、そういうイヤな男性はほんの一握りだから、全部の男性がそうだとは思わないでね。
だけど、気が付いて間に割り込んでくれた人がいて良かったわね。
これからは いつもより1本早い電車に乗ったらどう?」 |
と助言をしてくれた。
保健室の先生に話したことでやっと気持ちが落ち着き、3時限目から授業に出席することができた。 |
それでも憂鬱な気持は残ったが、午後の授業になる頃にはそれも収まり、家に帰ることができた。 |
考えてみたら、1本前の電車に乗るためには早起きしなければいけない。
いつもギリギリまで寝ている天枝にとってはちょっと辛いことだったが、背に腹は代えられない。 |
翌朝は早起きして、アドバイス通り1本早い電車、そして いつもとは違う車両に乗った。
すると意外にも電車内はすいていた。 |
「 |
1本違うとこんなにも違うんだ。
これなら安心して乗れるわ。」 |
あれから1週間。
天枝がいつものようにホームで電車を待っていると、時間通りに電車が到着した。
電車内を見ると、中で立っている人に目が行った。 |
『 |
も、もしかしたらあの人・・・
あの時後ろに割り込んで助けてくれた人?』 |
顔をはっきりとは覚えていないのだが、直感であの人だと分かった。 |
電車に乗り、間違いかもしれないと思ったが思い切って話しかけてみた。 |
「 |
あのー」 |
「 |
え? もしかしたらあの時の子?」 |
やっぱりそうだった! 人違いじゃなかった! |
「 |
あの時は気が動転していて、お礼も言えずにすみませんでした。
有難うございました。」 |
「 |
あれからは大丈夫?」 |
「 |
保健室の先生のアドバイスで、1本早いこの電車に替えました。」 |
「 |
僕は、いつもは2本遅い電車なんだけど、今日は早い出社なのでこの電車なんだ。
世の中変な奴が多いから気を付けてね。」 |
「 |
はい、気を付けます。」 |
ぎこちない会話だったが、天枝はこの男性に出会えたことに安心感を覚えた。 |
こうしたやり取りがきっかけで、その男性と同じ電車になった時は、騎士(ナイト)がいてくれるように感じるほどだった。 |
そして、それからというもの、自然とその男性を目で探すようになった。 |
その人と出会えるのは週に1回あるかないか。
それでも会えた時は嬉しくて、少しずつ会話も弾むようになっていった。
天枝にとっては兄が出来たようでうれしかった。 |
男性の名は清人さん。
名前を知った時、名は体を表すんだと納得した。 |
話していく中で、清人には奥さんも子供もいることが分かった。
妻子がいる人だと分かって、なぜか安心できる人だと思った。
清人が乗車する駅は自分が乗車する駅の2つ前。
年齢は32歳。
天枝より17歳も上だ。 |
妻子がいるという安心感からか、天枝は清人にどんどん親近感を感じるようになっていった。
都合がつく日は、清人の方が天枝の時間に合わせて乗ってくれるようになった。 |
清人は、自分がまだ知らない社会のこと、仕事のことなどを話してくれた。
時には政治のことをわかりやすく解説してくれたりもした。
それに、意外に自分と共通点があることがわかると知って面白かった。 |
天枝は聞き役になることが多く、清人が話すことの方が多かった。
なにせ天枝はまだ若く、清人に話せるほどの体験はなかったから、聞いている方が知識を吸収できる感じがして楽しかったのだ。 |
2人が出会ってから半年ぐらいたった頃、清人が同じ電車に乗って来なくなった。
最初は仕事の都合だと思っていたが、2週間以上も間が空くとさすがに気になってきた。
どうしたんだろうという心配もあったが、会えない寂しさがどんどんつのっていった。
そのうち勉強に手が付かなくなり、その消沈ぶりは友達が心配するほどになった。 |
清人の携帯の番号も会社の名前も何も聞いてないから、確かめようがない。
電話番号ぐらい聞いておけばよかった。
突然いなくなるなんて、私のことが嫌いになったのかな・・・
いや、喧嘩したわけじゃないし、もしかしたら病気で入院? まさか事故? |
悪い考えばかりが頭の中をぐるぐる回った。 |
そんな日が2か月ほど続いたある日、いつもの電車に乗っている天枝の肩を誰かがポンと叩いた。
振り返ると、そこには清人がいた。 |
もう会えないのかもしれないと半分諦めていたところに、久しぶりに見た顔はキラキラと輝いて美しく見えた。 |
「 |
どうかしたかと思って心配してたんですよ。」 |
「 |
ごめんごめん、連絡のしようがなかったからね。
ずっと海外に出張してたんだ。」 |
「 |
海外ってどこ?」 |
「 |
インドネシアに技術指導に行っていたんだ。」 |
「 |
そっかあ、インドネシアに行ってたんだ。
無事でよかったあ。」 |
その日を境に、互いの心が急接近し始めた。
もう同じ不安感を感じたくないからといって、電話番号の交換もした。
番号を聞いたからと言ってかけるわけではないが、いざという時に連絡が付くと思うと不安がなくなった。 |
ある日、 |
「 |
明後日の日曜日、空いてる?」 |
「 |
特に何もないけど。」 |
「 |
たまにはお昼一緒にどう?」 |
初めて食事に誘われた。
なんでも奥さんが出産の準備のために実家に帰ったので、自炊はしているものの、たまには誰かと外で食べたいから、ということだった。
1度ぐらいは清人と一緒にどこかに行きたいと秘かに思っていただけに、この申し出は天枝を有頂天にさせた。
テンションはマックスになり、前の日はなかなか寝付けないぐらいだった。 |
行ったところは回転すし。
天枝が 「割り勘にしてね」と言うと、清人は 「遠慮しなくてもいいのに」と笑った。 |
「 |
あまり食べないんだね。」 |
「 |
いつもはよく食べるのに、今日はどうしたんだろう。
もうお腹がいっぱいになっちゃった。」 |
これが境に1度が2度になり、気が付くとほぼ毎週日曜日には昼食を一緒に取るようになっていた。 |
会うと言っても食事して、それから喫茶店で話したりする程度だが、とにかく一緒にいてあれこれ話すのが楽しくて仕方がなかった。 |
映画を見たり、ゲームセンターに行くこともあったが、必ず夕方5時には返してくれた。 |
今まで男子学生とさえまともに話したことがなかっただけに、天枝にとって清人は特別な存在になって行った。 |
ある時、 |
「 |
どうしてこんなに会ってくれるの?」 |
と訊いてみた。 |
「 |
うーん、家に一人でいると何もすることがなくてボーっとしちゃうんだよね。
妻に会いに行っても、向こうの両親も妻の姉妹もいるから気を使っちゃうし。
ちょっと寂しいのかも。」 |
「 |
奥さんの代わりにはならないけど、私にできることがあったら言ってね。」 |
「 |
こうして会って話に付き合ってくれるだけでいいかな。
妹ができた感じで楽しいしさ。」 |
兄がいたらいいなと思っていただけに、妹と言われて急に嬉しくなった。
帰り際には必ず天枝の頭に手を乗せて、「じゃあ、また」と言って帰って行く。
その後ろ姿が見えなくなるまで見送るのが好きだった。 |
奥さんの出産予定日が近づくにつれて、清人はどことなく雰囲気が変わってきた。
何がどう変わったのかは口ではうまく説明できないのだが、以前の兄のような雰囲気から男性として意識せざるを得ないような感じに変わったとでも言えばいいのだろうか。
天枝にとっては嬉しいような、それでいて少し怖いような感じさえ漂うようになってきた。 |
男のサガとでもいうのだろうか、それから2人が男女の仲になるのに時間はかからなかった。 |
もちろん天枝にとっては初めてのことだったし、何をどう考えたらいいのか分からなくなった。
天枝は無知というか、あまりにも幼かった。 |
「 |
ごめん、こんなつもりじゃなかった。
もうしないから。
妻を裏切ることはできない。
君にも迷惑かかるし。」 |
たった1回だけの2人の秘密ができてしまった。
それ以来、お互いに意識してしまい、会話も今までのように屈託なく話すことができなくなっていった。 |
それからすぐ、子どもが生まれたと聞いた。 |
「おめでとうございます。」 |
喜ばしいことなのだが、天枝にとっては複雑な思いだった。 |
子どもが生まれたと聞いたその日に、「日曜日に会うのをしばらくやめて、朝だけにしよう。」と言われた。
寂しいけど、そうするしかないと、と納得した。 |
1か月ぐらいたったある日、やけに胃がモヤモヤするようになった。
痛いとか食欲が落ちたというわけではない。
何か悪いものでも食べたのだろうか。
それとも風邪?
とりあえず胃薬を飲んで様子を見ることにした。 |
1日で治ると思っていたが、胃のモヤモヤは続いた。
病気なんだろうか。
来週になっても治らなかったら病院に行ってみようかな。 |
そんなことを考えながら学校に行くと、ある噂でクラス中がガヤガヤしていた。 |
「 |
何かあったの?」 |
「 |
隣のクラスの鈴間さんが妊娠したんだって。」 |
「 |
あんな大人しい子が、まさかだよねえ。
相手は大学生だって。
私たちまだ中学生だよ。
どうやって知り合ったんだろう。
気になる〜」 |
「 |
どうして妊娠が分かっちゃったの?」 |
「 |
病院から2人で出てくるところを誰かが見たらしくって、それから噂がどんどん広まったみたい。」 |
「 |
鈴間さん、学校に来てる?」 |
「 |
休んでる。」 |
「 |
これからどうするんだろう。」 |
「 |
中絶するか産むかのどっちかだな。
どっちにしても大変だよね。」 |
2人が結婚してちゃんと産むのならいいのだけれど、中絶となると・・・
天枝は心が痛んだ。
もし自分が鈴間さんの立場だったら・・・
想像するだけで身震いがした。 |
天枝の胃のモヤモヤはまだ続いていた。
と同時にあることに気が付いた。
月のものが来ていない。 |
『 |
ま、まさか・・・そうだったらどうしよう。』 |
鈴間さんのことで心を痛めている暇はなくなった。 |
週刊誌や漫画などで妊娠試験薬のことを読んだことがある。
とりあえず薬局に行き、試験薬を買った。 |
「 |
たった1回のことだったんだから、違うよね。
どうかそうではありませんように・・・」 |
祈る思いで試験薬を試したら、まさかの陽性だった。
心臓が止まりそうなショックで、 |
「 |
これは何かの間違いだわ。」 |
そう思って別の薬局で別のメーカーの試験薬を買った。
やっぱり陽性だった。 |
真っ先に頭に浮かんだのは、鈴間さんのこと。
学校中 噂でもちきりになって、学校は火消しに躍起になっているし、双方の両親は頭を抱えているに違いない。 |
みんな好奇な目で見ているし、話がずいぶん大袈裟に伝わっているようにも思える。 |
あれから鈴間さんはずっと学校を休んでいる。
相手の大学生はどうしているのだろう。
本当のところは本人と家族以外は誰も知らないに違いない。 |
家族や学校にバレたら自分も同じ目に遭ってしまう。
きっと外も歩けなくなってしまうに違いない。
そう思うと、自分の目の前のものがすべて崩れ落ちるように感じられた。 |
こんなこと、誰にも相談できない。
あれから清人ともあまり会ってないし、話もしていない。
子どもが生まれたばかりだし、今は余計な心配をかけたくない。
でも、どうしよう・・・どうしよう・・・ |
その思いだけがぐるぐる回った。 |
ネットを参考にして考えに考えた結果、出た結論は中絶しかなかった。
清人の生活に波風は立てられない。
それに、こんな形で生まれてきたら子供だって可哀そうだし、自分の両親が世間からなんて言われるかと思うと、産むという選択は全くなかった。
中絶が最善策という言い訳を探し、どうやって病院に行って、その後どうなるかという情報を探した。 |
あとで冷静になって考えてみると、なんて身勝手な結論の出し方だったのかと思うけれど、当時は保身で逃げる方に考えることしかできなかった。 |
学校を休み、意を決して遠い産婦人科へ行った。
保険証を持っていない、と嘘をついて、問診票に年齢は20歳と書いた。 |
医者に妊娠3か月だと言われた。
分かっていたことだけど、医者からそう告げられるとさすがに頭の中が真っ白になった。 |
天枝は背が高いから、実年齢より上に見えるのが幸いしたのかもしれない。
どっちみち保険は利かないから実費になる。
相手の男性と2人で来なさい、と言われるかと思ったら、相手の署名捺印のみでいいと言われ、用紙をもらって帰宅した。 |
自分の名前も清人の名前もウソを書いた。
病院にはわかりゃしない。
だけど病院に問い詰められたら・・・・・ |
不安がどんどん押し寄せてくる。
それでも意を決して必要事項を記入し、用紙を持って病院に行った。 |
手術はあっという間に終わったようだ。
ようだというのは、麻酔を打たれ、気が付いた時には手術は終わっていたからだ。 |
目が覚めた時は6人部屋にいて、そこには同じ中絶をした人がいたのと、それも中年の女性が多かったことで罪悪感が小さくなった。
それより、これで何事もなく、誰にも知られずにすべてが終わった、という安ど感の方がまさった。 |
そして、自分にもこんなに大胆な行動ができるんだ、と思うと、少し笑いが込み上げてきた。 |
医者から「中絶した後は妊娠しやすいので気を付けて。」と言われたが、気を付けるどころか、もうそういう付き合いはしないから2回目はない、と口から出そうになったが止めた。 |
そんなことを医者に言ったからといって何になるというのだろう。
素直に「はい」とだけ答えて帰宅した。 |
家に帰ると、気分が悪いからご飯はいらない と言って、すぐに自分の部屋に行った。
しかし布団の中に入ってもなかなか寝付けない。
あの空白の時間に何が行われたのか、想像はできるが他人事のようにも思える。 |
胃のモヤモヤは収まっていた。
あれは病気ではなく、つわりだったのだとやっとわかった。 |
その夜は空虚な時間が過ぎ、それでも途中で寝たらしく、気が付くと朝になっていた。
体がだるくて、とても学校に行く気が起きないので、翌日も休むことにした。 |
その日は、一日中 清人のことを考えていた。
自分にとっては兄のような存在だったが、恋愛だったのかもしれない。
不倫という意識は全くなく、人生の先輩、いろいろ教えてくれる人、という間柄のつもりだった。
しかし、結果は不倫という形になってしまった。 |
そう考えていくと、自分がしたことの代償は子供の命だったことにやっと気が付いた。
中絶は自分の子供を殺したこと、つまりは殺人なのだ。 |
なんて馬鹿なことをしてしまったんだろう。
無知にもほどがある。
男というものを全然わかっていなかった。
だけど、清人には家庭があるし、子どもが生まれたばかりだってことは分かってたじゃない。
奥さんが実家に帰っていることをいいことにして、無意識のうちに自分は恋人気分を味わっていたのかもしれない。
たった1回でも男女の仲になれば妊娠する可能性は大いにある。
そんなことさえ知らずに、まさか自分に降りかかるなんて思いもしなかった。 |
清人に会いたい、会ってあれもこれも話したい・・・
でも・・・
丸1日考え続けて、自分はこの制裁を受けなければいけないと思った。
1つの命を奪っておきながら、何食わぬ顔で清人には会えない。
いや、もう会ってはいけない。
もし奥さんにバレたら、清人を不幸に落とし入れることになる。
そんなことは火を見るより明らかだ。
どうしよう・・・
自分で自分に制裁を加えるしかない。
清人にはもう会わないこと。
いくら会いたくても、いくら寂しくても、それを我慢して苦しむことが命を奪ってしまった子供へのせめてもの償い。
もちろん、そんなことが償いになるわけがない。
勝手な言い訳にしか過ぎない。
しかし、それ以外の償い方がわからない・・・ |
携帯を替えた。
清人が電話をしてきたら自分は何を言い出すかわからないから、それを避けるために。 |
それ以来、電車通学をやめて、あれほどイヤだったバス通学に替えた。
それも自分がしでかしてしまったことへの償いになるのなら・・・ |
バスは今まで利用していた電車の駅の停留所にも止まる。
無意識のうちに清人を探している自分に気が付くたびに、窓から空を見上げ、馬鹿な自分を思ってため息をつくしかなかった。 |
3か月たった頃、1度だけ電車に乗ってみようと思った。
もし清人がいたら、その時にまだ言っていないサヨナラを言おう。
そう心に決めて電車に乗った。 |
『 |
どうか会いませんように。
いませんように・・・」 |
会いたい気持ちと、会ってはいけないという矛盾した気持ちが交差して、天枝の心を複雑にしていた。
しかし、心はウソをつけない。
無意識のうちに清人の姿を探し、とうとう隣の車両に清人を見つけてしまった。 |
「 |
どうしよう・・・
ここから見ているだけにしようか。
いえ、言わなくてはケジメがつかない・・・」 |
意を決して車両を移動し、話しかけた。 |
「 |
いままでごめんなさい。
お子さんが生まれたんでしょ。
おめでとうございます。」 |
「 |
今までどうしてたの?
電車に乗るたびに君のこと探してたんだよ。
電話を掛けても繋がらないし。」 |
「 |
携帯が壊れて、データの移行が出来なくて、新しいのに替えたから。
実はね、交際を申し込まれて付き合い始めた人がいるの。」 |
ウソを言った。 |
「 |
そうか・・・
じゃあ もう会えないのかな・・・
君の気持ちを確かめずにあんなことをしたからイヤになったんだね。
あの時は魔が差したんだ。
ごめん・・・」 |
清人はそう言った。
天枝は首を横に振りながら、 |
「 |
今まで楽しかった。
ありがとう。
ずっと幸せでいてね。
さようなら。
それだけ言いたかった。」 |
涙をこらえて、逃げるように次の駅で降りた。
清人が乗っている電車は発車し、次の電車が来た。
それに乗らなければいけないのに、足が動かない。
うつむいたまま、ポロポロ涙がこぼれるままにその場に立ち尽くすしかなかった。
この日、とうとう学校へは行けなかった。 |
こうして天枝の初恋は終わった。 |
寂しさが波のように来ては引くのを繰り返したが、それも日がたつにつれ少しずつ和らいできた。
何も知らないとはいえ、温かく接してくれる家族と友達の存在が有り難かった。 |
あのことは自分から言わない限り、誰も知ることはない。
病院の医者や看護師は、毎日のように手術に向き合っているから、1人1人の患者のことなんて記憶の隅にもないに違いない。
だから、誰にも言わなければ何事も無く毎日が過ぎていって、そのうち思い出すことさえ なくなるかもしれないわ。 |
それから数日たって、急に鈴間さんのことが気になって訊いてみた。
すると、鈴間さんは妊娠していなかったらしい、とのことだった。
それはウソだと直感した。
自分が嘘をつきまくったのと同じで、鈴間さんも妊娠していなかったと言うしかなかったに違いない。
もしかしたら娘の将来を心配した両親から、そう言え、と言われたのかもしれない。 |
放課後、掃除をしながら |
「 |
ねえ、殺人の完全犯罪ってできると思う?」 |
と友達に訊いてみた。
そしたら |
「 |
うーん、無理なんじゃないかなあ。
今どきの警察ってすごいからね。
でも、もしかしたら有りかも。
完全犯罪ということは、自分以外は誰も知らないということだよね。
死体が見つからなければ警察に情報が行かないから、そうなれば完全犯罪になるよね。
だけどさあ、発覚しなかったとしても、自分の記憶の中にはあるから、犯人は良心の呵責に苛まれるんじゃないかなあ。
殺人の時効って何年かはよく知らないけど、法的に時効が成立したとしても、殺人者の心に時効はないからね。
だけど、どうしてそんなこと訊くの?
何か完全犯罪の計画を立てていたりして(笑)」 |
「 |
いえ、ああ、この前テレビでやってたから。」 |
「 |
あー、あの番組ね。
見た見た。
だけどさ、完全犯罪を企てるぐらいの人だから良心のカケラもないかも。
そういう人は人間のクズっていうか、クズ以下で、虫ケラ以下だよ。」 |
人間のクズ、クズ以下、虫ケラ以下、その言葉を聞いて、その通りだと思った。
そうか、自分は虫にも劣るんだ。
そうだ、そうだよね。 |
それから数年して、使枝が『シルバーバーチの霊訓』を買ってきた。
それを読んだ時、凍ったままだった天枝の心が一気に解けた。 |
『 |
ああ、私はこれで生きていける・・・償う道に出会えた・・・」 |
大きな感動が天枝を包み、感謝の思いで満たされると同時に、雲の上に浮いているような不思議な感覚を体験した。 |
『魂の覚醒は金塊を掘るがごとく・・・』 とシルバーバーチが言ったとおり、天枝にとっては人には言えないツラい出来事ではあったが、今になって思うことは、あれは金塊を掘るために削られる痛みと苦しみだったのだと理解に至った。 |
天枝は今、これらのことを思い出し、一つの生命を犠牲にしてしまった懺悔と共に、それでも自分は生かされていることに感謝している。 |
生かされている間、少しでも多くの人に霊的真理を伝えよう。
自分にとっては、それしか本当の償いの道はないから。 |
自分がこの世を去って霊界に行った時、自分の利己心で命を奪われた子供と対峙しなければいけなくなるだろう。
会った時には、心から謝ろう。
ただひたすら謝ろう。 |
今日も空は青く澄んでいる。
どの人にも太陽の光が平等に降り注がれていることに心から感謝した。 |
― end ― |
2020 /11 /21 |
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