スピリチュアリズム 

スピリチュアリズム
短編小説

第8話
宗教という学校


信仰とか宗教というのは、神を信じる、神を信頼する、という意味らしい。 ところが、日本では宗教団体を意味することが少なくない。

香穂は母親が某宗教に属していたので、子供の頃から仏壇の前に座ってお経をあげることが日課だった。
家には、毎週のように人が集まり、夜遅くまでみんなでお経を唱える。
幼い香穂にとってはちょっと苦痛だが、子供の身としては、お経が終わってから各自が持ち寄ったお菓子を頂くのはちょっと嬉しい。

親が宗教をやっているということで、香穂にとって宗教は当たり前のことになっていた。
ところが、なぜか近所の人たちは胡散臭い目で見る。
幼い香穂には、なぜ大人の人たちがそういう目で見るのかわからなかった。

「 あの人たちは、死んだら地獄に行く人たちだよ。
だから、何を言われても気にすることはないからね。」

親がいつもそう言うので、自分は生まれながらにして天国に行けると思い込んで、イヤなことを言う大人に対して優越感を感じていた。

そんな感じで育ってきた香穂が、大学生になった。
大学に入ってしばらくした頃、友達からサークルに誘われた。
それは 『世の中を立て直す会』 といって、キリスト教的であるらしい。
「とりあえず本だけでも読んでみたら」 と言われて、1冊の本を手渡された。
パラパラとめくってみると、世界の歴史の見方が書いてあった。

読んでみると、歴史を紐解くことで神の計画が分かり、それにつれて未来も分かる、というようなことが書いてあった。
これは、学校ではは教えてくれないことばかり。
友達があまりにも熱心に誘ってくれるのと、歴史の解き方に興味も湧いたので、試しに集まりに行ってみることにした。

部室では、自分より少し先輩の大学生が黒板を使って、何やら熱心に語っているのを聞いて、みるみるその熱弁に引き込まれていった。
その時の内容は、

なぜ人間には悪い心があるのか。
それは、人間が神との約束を破ったことから始まった。
なぜ人間には欲望があるのか。
それは、人間が神を裏切り、天使を装った悪魔の口車に乗って、神になりあがろうとしたことから始まった。
なぜ日本は長い間鎖国をしてきたのか。
それは、神によって、海外の悪の手から守られるためだった。
中東は宗教の聖地なのに、なぜ第二次世界大戦が終わるまで自分の国を持つことができなかったのか。
それは、人間が神の子を殺したから。

次から次へと語られる内容はとても衝撃的で、聞いているだけでワクワクした。
香穂はその場でそのサークルに入った。

その後、若者だけが集まるという真理の勉強会に連れて行かれた。
みんなとても清楚で礼儀正しくて、現代の若者のようなチャラチャラした雰囲気は微塵もない。

勉強の内容は、サークルで聞いたこと以上に圧倒されるものばかりだった。
何より、勉強した真理を理解するために、みんなで話し合うのはとても楽しかった。

勉強していく中で知り得た神の計画や真理に心から納得できた時は、嬉しさで小躍りするほどだった。
真理を学ぶことがこれほど楽しいことだとは。

しかし、ただ一つだけ、気になることがあった。
それは毎月の会費が少々高いこと。
上の人にそれを言ったら、「この金額でこれだけ学べるのは安いと思わないのか」 と言われ、納得した。

そこの宗教では、独身者のほとんどが共同生活をしていることを知った。
同じ真理を学ぶ仲間と寝食を共にできることは、毎日が修学旅行のような感じで、とても楽しそうだ。
それに、思いっきり真理の話ができる。 それで、思い切ってその中に入ってみることにした。

毎日、朝と晩の1日2回はみんなで集まってお祈りをするのだが、それ以外はわりと自由だ。
ところが、その自由時間をどう使うかで、その人の信仰が試されると言われ、暗黙の束縛を感じた。

日常の大半は生活費を稼ぐためのアルバイトに費やされるが、誰もが何とか時間を作って、自由時間を伝道に費やした。

学べば学ぶほど、アルバイトで外の人と接すれば接するほど、世の中の人の低俗さを感じ、人が本当に救われるためにはこの宗教しかない!
心からそう思った。

伝道は、最初は上の人と一緒に出て、どうやって話したらより効果的なのかを教えてもらった。
次に、他の大学のキャンパスに出向いて真理を語るために、講義の練習も重ねた。
すでに台本があるから、その通りに進めていけば何とかなるらしい。

練習の成果を試そうということで、街頭でやってみることにした。
結果は散々で、誰もが胡散臭い目で見ながら、避けるように通り過ぎて行った。
自分の力不足の何ものでもないのをいやというほど体感させられた。

何とか1人で真理を語りたい、多くの人を惹き付けるような語りをしてみたい。
そのためには、上の人の語りを聞くのが一番と思い、街頭講義をするという時は、いつもついて行って勉強した。

戸別伝道にも出てみた。 一軒一軒回るのだが、ほとんどが門前払いで、やっと話ができると思うと、単なる話し好きの人だったりする。
それでも、たまには真理に興味を持ってくれる人がいたりするのだが、実際には真理に興味があるというより、自分の悩みを聞いてほしいだけだったりする。

自分1人で学習していても、文字が目に入るだけで内容が空回りすることも少なくない。
誰かに語ることを念頭に置いて学習すると、不思議なことに、自分が一番理解が進んでいることに気が付いた。
これが利他の法則なのだと実感すると、涙が溢れて止まらなくなった。

1人でも多くの人に真理を伝えたい。
神が一番望んでいることは、今出会っている人たちを地獄から救うことだと思うと、自然に力が入る。

ある時は、5人1組になり、ワゴン車で寝泊りしながら、遠くへ伝道をしに行くこともあった。
そうした懸命さが認められ、気が付くと、その宗教の中では、香穂は優秀な信者になっていた。

入会から4年たち、香穂は大学を卒業した。

ある日、上の人からテストを受けてみたらどうか、と言われた。
テストというのは、幹部になっていくためのテストだ。
段階はいくつかあるが、講義人として真理をメンバーに教えるには、神の代理としての資格が必要なのだという。

真理を間違えて伝えることは罪だから、一生懸命勉強をしてテストに合格すれば、リーダーとして信者たちに教える資格が得られるのだという。
そして、日曜礼拝の時に、みんなの前で代表としてお祈りすることもできる。

香穂は思い切ってテストを受けてみることにした。
すると、思いもよらず、合格した!

その後もテストを受け続け、10段階ある中で、真ん中ぐらいまで上がった。

すると、ある時、上の人から一つ提案された。
幹部になると、自分は偉いという傲慢な思いが出てくるので、そういう気持ちを払拭して神の従順な僕になるために、そして自分が神から逃げないようにするために、わざと自分で自分に借金を課す必要があるという。

家一軒を買えるほどの高額な美術品を購入し、毎月返済し続けていくことで、神の僕として認めてもらえるのだという。

そして、自分が借金として毎月払うお金は、世界のあちこちで苦しんでいる飢餓の人たちの救済に当てられるのだと言う。
自分の働いたお金で多くの人が救われるなら、何をためらうことがあるのか。
香穂は美術品を購入することにした。

ある日のこと、いつものように一軒一軒の戸を叩いて、伝道をしている時のことだった。
庭がきれいに作ってあって、季節の花々が美しく咲いているお宅があった。
なぜかその庭に引き寄せられるようにして、チャイムを鳴らした。

普通は、宗教だとわかると嫌な顔をされ、門前払いをされるのがほとんどだが、このお宅の人は違った。
その人は50歳ぐらいのご婦人で、とても穏やかな感じがした。
そのご婦人は鈴木さんというお名前なのだが、香穂が伝道のために一軒一軒の戸を叩いていることを知って、少し悲しそうな顔をされた。

そして、詳しく話が聞きたいからと言って、家の中に招き入れてくださった。
香穂たち伝道者にとって、こんなに嬉しことはない。

応接間に通され、その人は紅茶まで出してくださった。
こんな好機は滅多にないのに、いざ話そうと思うと言葉が出てこない。
それでも何とか歴史を紐解く形で話し始めると、その人は、香穂の目をじっと見て、頷きながら熱心に聞いてくれた。

ある程度話し終わった頃、鈴木さんが香穂に言った。

「 あなたが話してくれていることは、一見すると理にかなっていて、正しいように聞こえるけど、あなたはそれをどれぐらい体験しているのかしら。
真偽を確かめたことはありますか?
神様を体験したことはありますか?
勉強した内容ではなくて、あなたが体験して納得したことが聞きたいわ。」

その言葉を聞き、香穂は一瞬かたまった。

「 も、もちろんあります。
次に来た時に、ゆっくり話します。」

そう言って、鈴木さんの家を後にした。

帰る道々、いろいろな思いが湧きあがった。
私が体験して納得したこと?
考えてみれば、自分が語ってきたことは、教えられたことばかり。
上から教えられたこと、本を読んで得た知識を、さも自分は何もかも知っていると言わんばかりに、後輩にも、伝道でも語ってきた。

その夜は眠れなかった。
ウトウトとしかけては目が覚め、考えては、またウトウトとはするものの熟睡できずに、結局朝になってしまった。

翌日はアルバイトに行く日だったが、どうしても行く気になれず、気が付いたら公園のベンチに座っていた。
木漏れ日の中でベンチに座っていたら、ここ数年ゆったりした時間を過ごしてないことに気がついた。

いつもはアパートの一室でみんなと一緒に祈るのだが、今日は一人でじっくり祈ってみたくなった。

神様、もし私の声が聞こえているのなら、どうか私の疑問に答えてください。
お願いです。 どうか私の疑問に答えてください。

時間をかけて、心を込めて、何度も何度も祈ったが、答えは得られなかった。

しかし、その日から香穂の意識が少しずつ変わり始めた。
共に歩んでいる仲間の見方、組織内のルール、自分がこれまで感じてきたことへの疑問が膨らみ始めたのだ。

ある日、仲間の一人が言った。

「 今日伝道で歩いていたら、去年までここにいた江見さんを見かけたの。
あの人、堕ちたんだよね。 かわいそうに。」

堕ちた!?
かわいそう!?

その人は香穂も良く知っている人だったし、仲が良かった人だ。
宗教から離れた人とは会ってはいけないという暗黙のルールがあるため、今までも離れた人のことは気にはなっても連絡を取ったことはなかった。
しかし、考えてみたら、なぜ会ってはいけないんだろう ・・・

それに、組織を離れた人がいると、かつては自分もその人のことを憐憫の情をこめて 『堕ちた』 と表現していた。
もちろん、上の人たちがそう言っていたから、同じように言っていたということもある。

それまでは当たり前に思っていたことだったが、その日は大きな疑問となって残った。

それから数日して、別のことが起きた。 まだ新人の女の子だが熱心な子で、伝道に出かけたお宅で、いろいろと聞かれたのだという。

「 あなたがやっている宗教にはどんな人がいるの?
ご両親は許してくれてるの?
みんなでしている仕事は何?
生活費はどうしているの?
共同生活していて、トラブルはないの?」

宗教とは違うプライベートなことばかり聞かれて、正直に全部答えたのだという。
ところが、これが上の人の耳に入り、「あなたが話していいのは、真理と、相手を中心にした話題だけ。
そんなこともわからないの!」 と、こっぴどく叱責された。

香穂は今まで、なんとなくだが、内部のことはあまり他の人には言わない方が良いだろうと思っていたので、聞かれた時は適当に言葉を濁していた。
でも、改めて考えてみると ・・・

どうして話してはいけないんだろう。
別に隠しておくようなことは何もないし、正しいことをしているのだから、何を話してもいいはず。

悶々としながらそんなことを考えていたら、何やら玄関の方でザワザワしているのに気がついた。

どうしたのかと行ってみると、仲間の両親が面会に来ていて、娘を連れて帰ると言って動かないのだという。
ところが、上の人たちの判断でその仲間をどこかに連れ出して隠したらしく、それで両親が騒いでいたのだ。

そこから端を発して、またまた疑問が膨らんだ。

どうして家族に会わせないようにする必要があるのだろう。
上の人の言葉は絶対だと教えられたから、言われるままに実行してきたけど、それって変。
だって、人間である以上完璧ではないし、判断を間違えることだってあるはず。
上の人の判断が絶対に正しいなんて、変だわ。

これまでも、仲間を家族に合わせないようにした結果、家族が警察に届け出たり、裁判になったことにも何度か遭遇してきた。
しかしその時は、『これはイエス様でもそうしてきたこと。
家族に会えば情に流され、世俗に引き戻されてしまう。
だから仲間を地獄に堕とさないためにも、感傷的になっている仲間を家族には会わせてはいけない』 と聞かされ、それを正しいことだと思って来た。

しかし、今日ばかりは何か変だと感じた。

神は、私たちが家族に会うことを、悪いことだと言われるのだろうか。
いったんは世俗に心が動いたとしても、ここにいることに価値を感じているなら、ここを離れられるわけがない。
それなのに、何を危惧して会わせないのだろう ・・・

思い返してみると、何かにつけて、組織に都合の良い解釈がされてきたようにも思う。
うまく事が運んだ時は、『これは私たちが正しいと神が認めて下さった証拠』 だと言い、うまく運ばなかったり、失敗した時は、『それはまだ時機じゃないから、もう少し待てという意味』 なのだという。
 『自分たちが間違っていた』、とは決して言わない。

香穂は今までもこういうことには何度も直面してきたが、特に疑問に思ったことはなかった。
いや、疑問に思っても自分の中で封をして、上の人が言うことが正しいと、自分で自分に言い聞かせてきたところがある。
しかし、今回は別。  初めて率直に聞いてみようと思った。
それは、あの鈴木さんが言っていたこと。

「 真偽を確かめたことはありますか?
神様を体験したことはありますか?
勉強した内容ではなくて、あなたが体験して納得したことが聞きたい。」

上の人は一瞬言葉を詰まらせたが、こう答えた。

「 真理の真偽を問うなんて神を冒涜するものよ。
それに、その人は一般の人なんだから、霊的にはあなたの方が上なのがわからないの?
それなのに、一般の人の話に気をとられるなんて、あなたもまだまだねえ。」

今まで何度も聞いてきた言葉だが、この日ばかりは、無性に腹が立った。
と同時に、鈴木さんに会って、彼女の話が聞いてみたくなった。
彼女がどういう体験をしてきたのか、どういう考えを持っているのかを。

こうしたことは、組織に黙ってしなければいけない。
でないと、隔離されてしまう恐れがあるからだ。

再訪を約束した日、心を決めて出かけた。
鈴木さんは約束の日を良く覚えていてくれて、この前と同じように家の中に招き入れてくれた。

「 今日は、私の方がいろいろお聞きしたくて来ました。」

「 私に何が聞きたいのかしら?」

香穂は率直に話した。

「 私は、自分が人に話せるほどの体験をしてきたのかどうか、正直分からなくなりました。」

すると鈴木さんは、

「 神を体験するというのは特別なことじゃないと思うの。
私は花が好きだし、動物も大好き。
だから、自分も動物も花も、命が与えられていること、生かされていること自体、神様の力が存在している証だと思うの。
春には春の花が咲いて、秋には秋の花が咲くでしょ。
当たり前のことだけど、すごいって思わない?
植物学で考えたら、地中が最適な温度に達したから芽が出た、というけど、果たしてそれだけかしら。
私が無知なのかもしれないけど、自然の中には驚くことがいっぱい。
花でも虫でも、季節の移り変わりを知っているわ。
その季節になると、自分の時だと言わんばかりに一斉に芽が吹き始めるし、虫たちも出てくる。
神様がそのように作られたのよ。
とても身近で当たり前のことだけど、これこそ神様がいらっしゃる証だと私は思うの。」

聞いてみて、少々気が抜けた。
もっと特別な体験談を聞かせてもらえると思っていたからだ。
ここ数日、宗教に対して疑問ばかりが膨らんでいたので、それを大きく上回る話が聞けるんじゃないかと、勝手に期待していたのかもしれない。
すると、その思いを見透かしたように鈴木さんが言った。

「 とかく宗教をしていらっしゃる方は、特別な体験を有り難がります。
そして、時にはそれを神体験だとおっしゃる。
霊が見えたとか、神の声が聞こえたとか、光を見たとか、そういうことを神体験だと。
でもね、私はそんなに非現実的なことだけが大切な体験じゃないと思うの。
神様はどこにでもいらっしゃる。
生命があるところはもちろん、生命がない所でも、無機質な物でも、神の息吹があるからこそ存在していると思うの。
私とあなたの出会いだってそう。
あなたが私の家を訪ねて来て下さった。
普通なら出会うはずのない2人が出会って、こうして話をしているなんて、偶然では片づけられない力が働いている証拠よ。」

鈴木さんのこの話を聞いていたら、なんだか分かるような気がした。
そして、話を聞きながら、ふわっと包まれるような、暖かい陽だまりの中にいるような、そんな空間にいるように感じたのも事実だ。

香穂は帰る道々、考えた。 宗教ってなんだろう。
一生懸命勉強してテストを受けて、伝道をして、次は講義をするためのテストを受けて、次は幹部になるためのテストを受ける。

これらはすべて神に近づくため、神の手足となって働くために必要なことだと教えられていたし、自分でもそう思っていた。
でも、今日の話を聞いていたら、自分たちがしていることが人為的なような気がしてきた。
自分たちがしているいことは導きかもしれないが、自分たちの方が神を利用しているようにさえ思えてきた。

翌日、もう一度、鈴木さんの家を訪ねてみた。
宗教というものをどう考えているのか、彼女の考えを改めて聞きたくなったのだ。

鈴木さんは昨日と同じように、温かく出迎えてくれた。

「 宗教ねえ・・・
私もかつては宗教で学んだことがあったわ。
確かに学ぶ面白さとか、新しい発見なんかもあって、とても充実してた。
でも、ある時思ったの。
神様は人間を平等に作られているはず。
世の中では不平等があるにしても、宗教の中で不平等があるというのは変でしょ。
御布施の金額とか、伝道で多くの人を連れて来た人の数でランクが決められるのは変だなって思ったの。
それに、誰もが救われるために生きているのに、天国に行く人と地獄に行く人に別れているというのは変じゃないかしら。
多くの人が組織に縛られ、その宗教の真理に縛られて頑なになっていくし、閉鎖的だし、暗黙のうちに秘密主義になってる。
それに、私がいたところでは、真理を立派に語る人は多いけれど、体験から真理を話せる人はほとんどいなかったの。
ある時、ボランティアに参加しようと思ったら、「そんなのは真理を知らない人がすればいいこと。 あなたがすることじゃない。」 と言われたの。
困っている人を助けないなんて真理に矛盾していると思って、宗教をやめたわけ。
やめてからの方が、前以上にたくさん学んでいるような気がするわ。
今は自然の中で、いろいろな人と同じ目線で話す中で、学ぶことだらけ。
今振り返ってみると、宗教は学校と同じだと思うのね。
学ぶことは多いけど実践的じゃないのよ。
宗教では理論的にいろいろ学ぶけれど、本当に役に立つ実践ができるのは卒業してからよ。
卒業して1人で頑張って始めて、本当の意味で生きるというか、自分で神を求めていくようになるんだって思ったの。
組織は鳥かごと同じ。
外に逃げられないようにしている半面、エサも水も与えられて、何不自由なく生きていける。
でも、それって、幸せだと言えるのかしら。
あなたは、鳥にとってはどちらの生活が幸せだと思う?
不自由だけれどカゴの中で守られて生きるのと、自然の中で自分でエサを捜しながら生きるのと。
もしあなたが鳥なら、どちらの道を選ぶかしら?」

香穂は彼女の話を聞いて、自分が進むべき道を垣間見たように感じた。

以前は親がやっていた宗教に対して疑問を持つことはなかった。
今の宗教に対しても、何の疑問を持たずに来た。
教えられた真理を鵜呑みにして、またそれを後輩や伝道相手に対して意気揚々と話してきた。
ひたすら信じていた時はそれで良かったかもしれないが、疑問が膨らんだら、もう居られるものではない。

組織に対する疑問を払拭して乗り越えるのも成長の一過程だと教えられたが、今はそれも疑問になっている。
もしそうしたことを上の人に言えば、叱責されるだろう。
それに、この宗教をやめたら、堕ちたとか、地獄に行くとか、いろいろ言われるのは分かっている。

今残っている人のうち何人かは、地獄が本当にあるかどうかも分からないのに、この宗教を離れたら地獄に行くと信じきっている。
だから、離れたくても離れられずに我慢し続けている人もいる。

自分の進むべき道が見えた以上、もう宗教に留まる価値を見出せなくなった。
宗教は学校と同じ。 社会生活に入る前に、守られて学ぶところ。 あの人の言うとおりだ。

香穂は意を決して、上の人に話してみた。
案の定、引き止められた、というより、サタンに惑わされていると罵倒された。

それから毎日、説教の連続。 しかし、言われれば言われるほど心が離れていく自分を感じた。
香穂の気持ちが揺るがなかったので、上の人たちは 「香穂はサタンに魅入られてしまった」 と嘆き、やっと解放してくれた。

美術品を買った借金は返して行かなければいけない。
返し続けている間は神と繋がっていることになるから、改心したら戻ってきてもいいと言われた。

今、香穂は公園のベンチに座り、ゆったりとした時間が流れる中、木漏れ日の中にいる。

この穏やかな気持ちは何年振りだろう。
木々の緑、鳥たち、雲、青い空、明るい陽射し ・・・
これこそ神様からの賜物なんだわ。
あまりにも当たり前すぎて、気が付かなかった ・・・

考えてみれば、全てが導きだったのだ。
生まれてから今まで全てが、一本の線で繋がっているのに気が付いた。

以前お祈りした時、祈りによって何も答えが得られなかったと思ったけれど、そうじゃなかった。
宗教を始めてからやめるに至った経緯こそが、自分にとっての成長の軌跡であり、神の愛、神の力なのだと思った。

今後は、しばらく自分で生きてみようと思っている。
でも、今は、あのご婦人に報告したい。
私は神を体験しました、と。

はやる気持ちで、香穂は鈴木さんの家に向かった。
角を曲がるとお宅が見えるはず。

なんだかドキドキしながら角を曲がったら、鈴木さんが門の前に立っているのが見えた。
そして、いち早く香穂を見つけると、とても嬉しそうに、大きく大きく両手を降ってくれた。
なぜか香穂は、古里に戻ってきたような感じがして、気がついたら小走りに駆け寄り、その手を握っていた。


― end ―

2011 / 08 / 04 初編
2014 / 09 / 01 改編

 

 










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