スピリチュアリズム 

スピリチュアリズム
短編小説

第2話
霊界へ戻った話 A


真美がボランティアをしていた作業所に、理恵という主婦がいる。
真美は子供に恵まれなかったこともあり、自分の人生すべてをボランティアに費やしたと言っても過言ではない。

しかし、理恵は真美とは違い、自分の空いている時間を有効に活用して、効率の良いボランティアをしている。

理恵は常々、こう言っている。

「 ボランティアほどやり甲斐のある仕事はないわ。
でも、家庭がうまく切り盛りできない人は、ボランティアをやる資格はないと思うの。
家族を愛せない人が、障害者を愛せるはずがないもの。
それに、自分を愛せない人は、家族や周りの人を愛することはできないしね。」

理恵は家庭をとても大切にしている。
家族の誕生日や学校行事がある場合などは、当然の如くそれを優先しているが、ボランティアだからといって決して手を抜くことはない。
理恵なりにだけれど、家庭のこともボランティアのことも、一生懸命頑張っている。

そんな理恵がインフルエンザにかかり、そこから肺炎に移行して、愛する家族を残してあっけなく他界してしまった。

理恵が自分の葬儀を後ろの方から見ていると、守護霊が現れ、気が付いた時はもう次の場所に一緒に移動していた。
どれくらい経っただろう。
気がつくとそこにはさっきの守護霊がいて、優しく理恵に話しかけた。

「 地上にいた時のことを覚えていますね 」

「 はい、覚えています。 今まで忘れていたことも、今はどんどん蘇ってきています 」

理恵の眼前、いや、脳裏かもしれないが、生まれてから死ぬまでのことが、まるで映画を見ているように流れている。
守護霊も一緒にそれを見ていた。

映像は、地上に誕生する少し前から始まっていた。

地上に誕生しようと決心した時は、利他に徹し、大きく成長することを誓っていた。
そして誕生し、子供時代、学生時代、結婚生活のこと、子供と関わり、近所の人との関わり、ボランティア仲間や友人たちとの関わりなどが次から次へと映し出された。

ここでの映像は、覚えていることはもちろん、自分では忘れていることも、自分を偽って表面に出さなかったことも、全てが容赦なく映し出される。

そんな映像を見ながら反省し、また言いようのない恥ずかしさに苛(さいな)まれながらも、場面は進んでいった。
と同時に、他の人から見た自分、自分の知らない自分が映し出されているのに気がついた。

理恵は子供の頃、自分のことを、弱きを助け、強気をくじく、正義感溢れる女の子だと思っていた。
ところが、友達は理恵のことを我が儘で気の強い、気まぐれな女の子として見ていたことがわかった。

確かに、苛められている子がいたら助けていたが、それも、自分に従う子は助けるが、そうでない子は放っておいたのが見えたのだ。

理恵は、自分で気が付かなかった自分を見て、少々驚いた。

次に、映像は学生時代を映し出した。
もともと頭は良かったので、高校でも大学でも、成績はトップクラス。
それが自分の自慢でもあったし、唯一誇れるところでもあった。
しかし友人から見ると、頭の良さを鼻にかけ、友達を見下している鼻持ちならないヤツと映っていた。

家庭を持ってからの理恵は、自分では理想的な良妻賢母を自負していた。
特に料理が得意で、いつも栄養バランスを考え、見た目も美しい盛り付けを心がけていた。

子供たちには手作りのおやつを作り、来客がある時は、ケーキなどもスポンジから作り、デコレーションも自分でするほどだった。

掃除も隅から隅まで手際よくこなし、部屋の中はホコリ一つなく、とても子供がいるとは思えないほど、いつも整然と片付いていた。

理恵はそれらの様子を振り返り、やり遂げた思いで心から満足した。

次に夫が映し出された。
ソファーに座り、新聞を広げている。
そこに理恵が現れ、何やら話をしたかと思うと夫は急に新聞を折りたたみ、外に出かけてしまった。
健康のために、自分が散歩を促した時のものだった。

次に、子供たちが小学校の頃の映像が映し出された。
リビングにおもちゃを広げ、楽しそうに遊んでいる。
そこへ理恵が買い物から帰ってくると、子供たちに宿題を先に済ませてから遊ぶように、と言った。
すると子供たちは素直におもちゃを片付け、自分の部屋に入った。
その様子を見て、理恵は満足した。

当然だが、ボランティアの様子も映し出された。
最初は友人に誘われて始めたのだが、気が付くと采配を振るうところまでいっていた。
てきぱきと指示を出し、障害者への心配りも怠らなかった。
そのせいか、作業所では、所長より一目置かれているところが映し出されていた。

次に、理恵の知らない夫の別の面が映し出された。

あいつは、自分で自分に酔っていたんだ。
良妻賢母?
とんでもない。
少なくとも、オレにとっては悪妻だったよ。
一緒にいると息が詰まって、窒息しそうだった。
何度離婚を考えたかありゃしない。
でも、意外と早く逝ってくれたから、良かったよ。

夫から見ると、理恵は完ぺき主義者で、夫としてはもちろんのこと、父親としても完璧さを要求され、息が詰まりそうだったと言っている。
家に帰っても体も心も安らげない。
たまにくつろいでいると、健康のために運動をするようにとか、食事制限、睡眠時間までもきっちり守らされた。
それに、少しでもダラけた格好をしていると、子供の躾に良くないからと改めさせられた。

そんな夫のストレスを察したのか、いつも心配していたのが会社の同僚の女性だった。
夫が彼女といる時には、家で見せたことがないような穏やかな顔をして笑っていた。
パジャマ姿のままでアグラをかき、晩酌をしながらテレビを見ている。
テーブルの上には、飲み屋で出てきそうなおつまみ。
その女性がお酌をして、つまみを美味しそうにつまんでいる夫の姿が見えた。

理恵は信じられなかった。

あれだけ夫のことを考えて尽くしたのに、なぜ!?
あの女性は誰!?
え? 不倫相手?
し、信じられない ・・・
10年以上も前から続いていたなんて ・・・

映像は子供たちのその後の様子も映し出した。

お母さんは僕たちのことなんて、なーんにも考えていなかったのさ。
良い点を取るのは当たり前で、学校のことを話したって小言しか返ってこなかったもんな。
ふたこと目には、勉強しなさい、宿題はやったの、散らかさないで、片付けなさい、だもんな。
僕たちの話なんて聞こうともしないし、気持ちなんてなーんにもわかってくれなかった。
おやつだって、普通のアイスが食べたいのに、お母さんが作った物しか食べさせてもらえなかった。
食事だって、野菜が大事なのはわかるけど、毎食野菜ばかりじゃウサギになりそうだったよ。
とりあえず良い子を演じていればお母さんは満足だったんだ。
学校帰りにタバコを吸ったり女の子をナンパしていたことを知ったら驚いただろうな。
もし知ったら、勘当もんだな。
あ、世間体を考えたら勘当もできなかったか。
そんなお母さんはもういない。
少しは寂しい気もするけど、これで本当の自由になった気分だ。

理恵は唖然とした。
自分は家族を思い、本当に一生懸命やってきたのに、理解されていなかったどころか、疎ましく思われていたなんて・・・。
学生時代は、友達がたくさんいて、いつもワイワイ楽しんでいた。
ところが、

理恵? ああ、そういえば、居たわね。
ファッションを鼻にかけて、褒めないとおもむろに嫌な顔をしてたっけ。
いつも自分が話題の中心じゃないと気が済まなくて、みんな、腫物に触るように付き合っていたわ。
どうしてそんなにまでして付き合っていたかって?
向こうは、自分の美しさが引き立つと思って、チョイブスを自分の周りにいさせたつもりだと思うけど、私たちはそうじゃなかったわ。
チヤホヤしていれば、食事代はいつも払ってくれるし、素直でいれば理恵と比較されて素直でおとなしい女の子として見てもらえて、男子も目をかけてくれたから。
まあ、お互いさまって感じじゃないかしら。

理恵はその先の映像を見るのが恐くなってきた。
これまでの映像は、自分で思っていた自分と、周りが思っていた自分があまりにも違っていたから。

映像は、ボランティア時代へと移った。

理恵さんねえ、すごく頑張っていた人だから、その点は尊敬できたけど、何しろ女王様だったから。
食事作り一つにしても、自分は得意だから、にんじん1つ切るにしても、まず見本を切って、その通りにみんなが切らないと怒るほどだったよね。
ある若い子が、キャベツを切って、シャキッとさせるために水に浸したら、『 ビタミンが水に溶け出しちゃうじゃないの! そんなことも知らないの!』 って、すごい剣幕だったことがあったっけ。
一事が万事で、自分の思い通りに周りが動かないと、すこぶる機嫌が悪くて、全部やり直しさせられた時は、さすがの私も辟易としたわ。
みんな、理恵さんの顔色をうかがって、ピリピリしてたもの。
所長が良い人で、いつも間を取り成してくれていたから、もっていたようなものよ。
所長がいなかったら、今頃どうなっていたことか。」

理恵は自分の生き方、自分の判断力に自信を持っていた。
ところが、それが弊害を生み、寛容さを欠いていたために、周りに圧迫感を与えていた。
何より、他人の失敗が許せなかった。
それに、自分がミスをした時は、それは自分が悪いのではなく、他の人の段取りが悪いせいだったり、他の人の理解不足によるものだとしていた。

その時、守護霊が言った。

「 あなたは善意でしたことかもしれないけれど、結局は自分しか見えていなかったのです。
独りよがりの人生だったのですよ。
自分の物差しが一番正しいと思い込んで判断してきた結果です。
その報いは受けなければなりません。」

霊の世界、人の心の世界の摂理は 「 利他愛 」 である。
1+1 が何倍にもプラスになったり、大きくマイナスにもなり得る。
自分のことを後回しにして、回りのために尽くすことで、全体が幸せになる世界である。
お互いがお互いのために尽くしてこそ、本当の平和が訪れ、物質より霊的なことを優先させることで成長する世界である。
摂理とはそういうものだということに、理恵は映像を見て初めて気付かされた。

映像の中の自分を見る限り、自分がしてきたことは、確かに自分だけが満足していて、自分に関わる人たちは不満を持っていた。
回りに圧迫感を与えていただけで、誰も幸せにはならなかった、と気がつかされた。
誰もが自分の活躍に感謝していると思っていた。
自分がいなくなったら、みんな困ると思ってた。
ところが、しばらくは困ることはあっても、いなくなって逆に作業所に和がもたらされた。

理恵がいた時は周りがピリピリしていたが、理恵の他界後は、アットホーム的な安らぎの場となった。
結局は自分が優越感を味わうものでしかなかったことに、他界してはじめて気が付いたのだった。

全部自分の物差しで、自分の価値観で世間を見てきた心の狭さに、理恵は打ちのめされた。
地上に生まれる時、利他で生きていこうと決心したのに、「 利他愛 」 が何なのか理解していなかったために、こんな人生になってしまった。
私の地上人生は失敗だった・・・

映像の全てが終わった時、守護霊が話しかけた。

確かに独りよがりの人生ではあったけれど、動機には善意が含まれていましたから、それは必ずプラスとなってもたらされます。
ほら、ごらんなさい。
子供たちにも、あなたの夫だった人にも、あなたの善意の部分が反映されているではありませんか。

理恵はもう一度地上を見てみた。

すると、子供たちは結婚して親となり、やっと理恵の気持ちが分かる年になった。

夫は、不倫相手とのズボラな生活から身体を壊し、改めて健康の大切さが身に沁みていた。

作業所では、表面の優しさだけでは人を堕落させることを知り、理恵に厳しくされたことを、改めて感謝の思いで思い出していた。

守護霊は続けて言った。

「 反省すべき点は多々あります。
それを踏まえて、新たに出発すればいいのです。」

「 私はもう一度やり直したいと思います。 できるでしょうか。」

「 もちろん何度でもやり直しができます。
すでにあなたには、次の地上人生が用意してあります。
十分に準備をしてから再生しましょう。」

こうして、守護霊と理恵は次の段階へ向かって進んで行った。


― end ―

2009 / 08 / 23 初編
2014 / 04 / 20 改編


 

 








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