スピリチュアリズム |
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短編小説 |
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第11話 ③
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僕は宗教というものをあまりよく知らない。 日本には無宗教の人が多いので、その場合 外国に行った時に困ることがあるらしい。 特に仕事で海外の人と接する時、無宗教だと人として信用してもらえないこともあるのだとか。 そんな時は、とりあえず仏教だと言っておく、という駐在員も多いと聞いた。 |
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郁夫: | ねえ母さん。 宗教って本当に人を幸せにしてくれるものなの? |
寿々音: | 宗教に何を求めているかによるかもね。 |
郁夫: | 何のために宗教が必要なの? |
寿々音: | 人によって考えが違うけど、母さんは善悪とか人の道を学ぶためだと思ってる。 どの宗教でも良い点と悪い点があるから、すべて正しいと言える宗教は存在しないわね。 どうしてかというと、教義から学ぶところがたくさんあっても、教えているのが人間だから。 教える人の価値観とか考え方によって変わるし、教え方とか指導力によっても違ってくるし、信者の経験値とか理解力によっても変わるでしょ。 教祖に帰依したら、正しい方向に進んでいるようでも、どんどん間違った方向に行ってしまうことだってあるしね。 |
郁夫: | ふうーん。 |
寿々音: | 宗教に入れば救われるとか、幸せになるって言って勧誘する人が多いけど、入っただけで幸せになるなんて大間違いだと思う。 献金すればカルマが解消されるとか、献金しなければ地獄に行くとか、なんていうのも大間違い。 お金は地上だけのものだから、あっちの世界には持っていけないものね。 それに、本当に大切なことってお金に換えられないじゃない。 自分で納得したことを実生活に生かして初めて宗教で学んだことが生きた教えになると思う。 実生活に生かすのは、何も宗教じゃなくても、格言からでも十分学べるんだけどね。 |
郁夫: | 例えば? |
寿々音: | そうねえ、聖書の中にこんな言葉があるわ。 「人はパンだけで生きるものにあらず」とか「天国は一人一人の心の中にある」 他には、親鸞の言葉にこんなのがあるわ。 「善人が極楽に行けるのなら、悪人はなおさら極楽に行くことができる」 だったかな。 |
郁夫: | 悪人の方が極楽に行ける? 逆じゃないの? |
寿々音: | それはね、こういう意味なの。 自分は良い人間だ、自分ほど正しい人間はいない、って思っている人は傲慢な人。 こういう人が極楽に行けるなら、自分には悪いところがたくさんあるから極楽には行けそうにない、せめて人の役に立つ人間になりたい、という人こそ極楽に行ける、って感じかな。 |
郁夫: | なるほど。 じゃあ、「人はパンだけで生きるものにあらず」っていうのは? |
寿々音: | 子供を育てるとよくわかるのだけれど、人間は犬や猫とは違うから、ご飯を食べさせるだけではだめなのよ。 栄養豊富なご飯を食べさせれば確かに身体は育つけど、人間はそれだけじゃだめでしょ。 愛情を注いで、一緒に泣いたり笑ったりして信頼関係を紡いでいくのが大切。 それ以上に、真理を知って学んで実行してこそ人間として成長するということなのよ。 |
郁夫: | なーるほど。 じゃあ、役に立つ格言ってどんなのがあるの? |
寿々音: | 「時は金なり」とか「急がば回れ」「若い時の苦労は買ってでもしろ」なんてのがあるわね。 |
郁夫: | わかりやすいね。 僕も少し勉強してみようかな。 |
そんな話をしていると、予約していた人が来た。 この頃になると来訪者が増えてきたので、予約した人だけを受け入れることにしている。 それも、興味本位な人、遊び半分な人はお断りしている。 |
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今回来た人は、姑や親せきから ことあるごとに「子供はまだなの?」と言われてノイローゼ気味になっていた時に宗教と出会って入信したという人だった。 | |
交霊する前に本人の内情を訊くことはほとんどないのだけれど、啓美さんは郁夫の顔を見ると堰を切ったように話し出し、しばらく止まらなかった。 | |
話の概要はこうだった。 | |
入信してしばらくすると妊娠したことが分かり、早速ご利益が得られたといって、夫も親戚も大喜びしたという。 ところが、教祖が言うには、「あなたはまだ親として成長していないから、堕ろしなさい。このまま子供を産んだら2人とも地獄に行く」と言われたいう。 |
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結婚して10年たってやっとできた子供。 堕ろすことなんて考えられなくて、教祖の言葉を守らずに産むことに決めた。 お詫びに献金もした。 |
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この宗教では、まず神様に貢献することが1番大切だと教えられている。 妊娠して子供を産んでいいのは、神様と教団に尽くした人だけということらしい。 多大な貢献をしたと教祖が認めた人だけが妊娠出産できるということらしい。 それで、貢献していない信者が妊娠したら堕ろすようにと言われる。 |
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だから、教団の人たちからは、啓美は教祖の言葉を守らなかい不信仰者だ、というレッテルを張られてしまったのだとか。 だったらいっそのことその宗教をやめたらいいと言うかもしれないけど、子供が授かったのはご利益だと思っているので離れることもできない。 |
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教祖に、どうして子供を産んだら地獄なのかを訊いたことがある。 そうしたら、地上に誕生するということは大きなカルマを背負った人生の始まりだから、そんな子供を安易に産んではいけない。 もし自分が徹底して神様に貢献したのちにできた子供なら、神様に祝福されて生まれてくるのだから喜ばしいけれど、あなたの場合はそうではないからあなたも子供も生きながらにして地獄の世界を歩まざるを得なくなる。 生まれてきた子供を不幸にしないようにするには、子供にも信仰の道を歩ませなければいけない。 信仰の道を歩んでこそ子供も天国に行ける、と言われた。 それに、堕胎は悪いことではない。 人間に魂が宿るのは生まれて自力で息をした時だから、胎児のうちに堕胎すれば魂は消滅して水子にはならない。 だから心配はいらない、と言われた。 |
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神に近い教祖の言葉は絶対に正しい。 自分が知らないことを教祖は知っている だからその言葉に背けば確かに地獄だろう。 自分はまだ何一つ神様に貢献していないし、何一つ真理を実行していないのに子供が授かったわけだから、それは順番として神の摂理から逸脱していると言われた。 |
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地獄に行く覚悟で神様に貢献せよと言われたので、子供を連れてその宗教に通い、伝道をし、賄いとか掃除とか、自分にできることはなんでもした。 すべては子供が地獄に行かないためだった。 |
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そんな時、高齢だった教祖が他界した。 そして教祖の子供が後を継いで次の教祖になった。 |
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前の教祖が他界したことを機会に、怖いけれど思い切ってその宗教を去ることを決めた。 去る者は追わずの宗教だったので、しつこく付きまとわれることはなかった。 だけど、現役の信者たちは、私と子供は地獄に行く、といまだに言っているらしい。 それも辛い・・・ そう言って苦しい心の内を吐露した。 |
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啓美さんが会いたいのは、亡くなった教祖。 もう一度会って、本当に自分は子供を産んではいけなかったのか、産んでしまったので地獄に行くのか、を確認したいのだという。 せめて子供だけでも回避させてやりたい。 その一心だった。 |
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ひとしきり話すとやっと落ち着いたのか、交霊を始めることにした。 郁夫にとってはなんとも複雑でやりきれない気持ちだったが、郁夫の気持ちは交霊には一切反映されない。 |
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寿々音に促されて啓美さんが郁夫の肩に手を置くと、眠気が来て交霊が始まった。 他の人より長くて、30分ぐらい続いたのち、やっと霊が去って行ったようだ。 |
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郁夫が目覚めると、啓美さんは晴れ晴れとした顔をしているように見えた。 | |
彼女の話では、出てきたのは教祖ではなく、その指導霊だと言っていた。 その霊が自分に謝ってくれたと言う。 子供を産むことが地獄だというのは間違っている。 それは教祖にも何度も伝えているのだが、まだ地上の感覚が抜けきらなくて信じないのだという。 |
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魂が肉体に宿るのは受精した時であって、生まれた時ではない。 だから堕胎することは殺人だと教えてくれた。 それに、実際には天国も地獄も自分で作る環境だという。 地上にいる間に心の天国を作れば死後天国に行くし、生きている間に不満とか恨みを持ったまま死ねば、自分で地獄の環境を作ってしまうと教えてくれたという。 |
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なんだか理屈ではなく腑に落ちた気がした。 正しいと教えられていたことが、実は間違いであったことには心底驚いた。。 間違っている教えは他にもたくさんあるという。 その間違った真理を正しいと思い込んで他の人に伝え、それを信じないことは神の道に反すると信じることもまた罪だと教えられた。 |
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宗教の世界、信仰の世界は難しそうだ。 霊的審理は大切で誰もが学んだ方が良いけど、果たして宗教という形式が必要なのかどうか、大きな疑問として残った。 |
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啓美さんは、自分が判断したことは間違いではなかったことを知って安堵し、深々と頭を下げて帰っていった。 | |
― 続く ― |