スピリチュアリズム 

散歩道 (雑感) 2020


22020-2-29 
「もったいない余命〇〇年」

ネットでも週刊誌でも新聞でも、感動する話より事件とかゴシップ的なものの方が世の中受けします。
これが地上のレベルというか、最も多い魂の段階なのだといつも思います。

感動したり、泣けてくる話は時々あるけれど、子猫を穴から救った話とか、余命〇〇年という話には申し訳ないけれど感動できないのです。

なぜかというと、死後の世界があるということを知っていたらそんなに悲しまなくても済むのに、という思いに他ならないのです。
それ以上に、地上で生きている意味が分かれば、たとえ余命が少なかったとしても充実して誇れる一生が送れるんじゃないかと思えて仕方がないのです。

子猫とか子犬をレスキューする話にしても、行動自体は素晴らしいのですが、助けている人ってまさか肉食している人?
これって矛盾してませんか?
片や小さな命を救おうと必死になっているのに、その裏側では牛や豚や鶏を食べているわけですよね。
殺処分されている犬猫の多さとか、最近ではジビエのことを考えると、気分が塞いでしまいます。

本当に感動するのはアフガニスタンで亡くなった中村哲さんの偉業とか、尊敬してやまないマザー・テレサの生きざまに触れた時です。
偉業を成し遂げた方は、もちろん他にもたくさんいらっしゃいます。
他人のために人生を最大限に使った生き方こそ本当に感動するし、心がリセットされるし、鼓舞されます。
勇気がない自分には到底できないことだから、そういう方々の生き方を知ることで、心の隅々まで感動が広がります。

人は肉体の機能が止まっても霊は永遠に生き続ける。
それも、再生しながら。
といってもその再生は何十回もするのではなく、小我がほんの数回再生しあって大我が成長するというのです。

だから、余命〇〇の話というのは死んで終わりにしてしまうことであるし、その人を思い出の中に閉じ込めてしまうことなので、実にもったいないと思います。

霊界に戻ってみると、地上で体験してきたことのすべての意味が一瞬にして理解できるようになると言います。
なぜ不治の病になったのか、なぜ残酷な目に合わなければいけなかったのか、なぜ騙されたのか、なぜ犯罪に手を染めた挙句に抜けたくても抜けられなかったのか、など、書き出したらキリがありません。

霊界があるということ、たった一つそれを知っているだけで死への恐怖も家族と離れる悲しさも無くなると思うのです。
それどころか、次への希望さえ湧いてきます。
私だったらですが、霊界に戻ったら次に何をさせてもらえるんだろう、でしょうか。

しかし、肝心なのはスピリチュアリストとして今何ができているのか、一生の間に何ができるか、それが自負できない限り後悔が残ります。
私自身、後悔しないように できるうちにやっておこうと思っています。


2020-1-23
「愛犬の葬儀」

昨日、近所のお婆ちゃん犬が他界したので、今日は飼い主さんと一緒に火葬場に持って行きました。
丸16年の豆シバ。
老衰と乳腺癌の両方が原因でした。

行く前、飼い主さんは全身を洗ってやり、ドライヤーで乾かしてあげていました。
それから段ボールに入れて、たくさんの花で周りを飾って、火葬場に持って行ってお別れです。
みんな泣いていました。

1昨年、溺愛してきたウチの犬も亡くなりました。
その時は洗ってあげなかったし、花で埋め尽くしてあげなかったし、何より涙さえ出ませんでした。
大切に大切に飼っていた犬で、17年でした。
涙が出ない私は冷たい心の持ち主なんでしょうか。

霊界のことを知っていると、これが最後の別れだとは思えないんですよね。
人間の霊と違って、動物の霊は他界すると個別性がなくなるそうです。
でも、後に飼い主が他界した時に幽界で再会できるということを知っているので、触ることも見ることもできなくなった寂しさはあるけど、別れに対する悲しみはないのです。
何より、介護しきったという達成感があったのかもしれません。

抜け殻になってもなお生きていた時以上に慈しんであげるのは、見ていて美しいものです。
でもそれは霊的真理を知らないからだと思うのです。

もう抜け殻になっていて痛みも何も感じなくなっているのに、濡れたままだと寒いだろう、ドライヤーが熱いと可哀そう、お腹がすいていると思うから大好きだったパンを置いてあげよう、そんなことを言い合いながらきれいにしてあげていました。
私の中からとっくに消え去った感覚です。

火葬場では、重さに応じた料金を支払って引き渡すだけの手順。
人間とは違って非常にあっけないものでした。

亡くなった豆シバちゃん、にっこり微笑んでいるようなお顔でした。


2020-1-16
「地上的な考え方と霊的な考え方」

前回、ウイグル人の女性の動画を紹介してから、ずっと考えていました。

地上的視野で考えると、カルマの問題として考えるのはどうしても冷たい考え方のような気がしていました。
でも、バーチを読んでみると、やはりカルマとして考えるしかないのだというところに収まりました。

目先の判断ではどうしても可哀そうとか 残酷という、感情が先走った判断に陥りやすいのですが、霊的視野で見てみると、残念ながらそれはお粗末な見解でした。

「古代霊は語る」の中の「再生」の章の中で、マイヤースの言葉が紹介されています。
79ページです。

仮に不幸にして不具の肉体をもって地上に生まれたとすれば、それは前世において何らかの重大な過ちを犯し、それを償うには、そうした身体に宿るのが一番効果的であるという判断があったと解釈すべきである。

たとえば白痴に生まれついた者は、それなりの知能で地上生活を実感し、それなりの地上的教訓を吸収することを余儀なくさせられる。
地上で暴君とか残忍な宗教裁判官だった者は、白痴とか精神薄弱児として再生することがよくある。

いつの時代にも、今日食べるものにも事欠くような境遇の人たちが多くいます。
人間扱いされない人たちも大勢います。

なぜそういう人生を余儀なくさせられているかというと、自分のカルマを清算するにはこの人生、この境遇に生まれるのが一番効果的であるという判断をして、自らの意志で選んで生まれてきたということなのですね。

今の地上生活だけを考えると可哀そうなのですが、もしそれれを白紙に戻してしまったら、かつて犯した罪が償えないことになってしまいます。

今の私としては、そういう人たちがカルマを清算して、何かを学び、次に進んでくれることを祈るしかありません。


2020-1-14
「あるウイグル人女性の身に起きたこと」

今日、何気なくYouTubeを見ていたら、ウイグル人に関するとってもショッキングな動画を見てしまいました。

https://www.youtube.com/watch?v=XYsIHsuBVZ0

戦後の日本に生まれて、裕福ではないけれど質素に生きてきた私にとっては本当にショックな情報です。

そんなことも知らなかったの? と言われそうですが、自分も大半の日本人同様 平和ボケしていました。

中国では、死刑囚や法輪功学習者だけでは足りなくなったのか、ウイグル人などを捕えて臓器狩りをしているのも判明しています。

世界中を見渡すと、他にも常軌を逸したことが数多く起きています。

今、地上的な視野に陥っているせいか、スピリチュアリズム的にどう考えたらいいのか分からなくて混乱しています。
某スピリチュアリズムのサークルに言えば、「それはカルマの問題」 と一蹴されそうですが、そんなに簡単に割り切ってもいいのでしょうか。

こういう時にこそシルバーバーチを読んで心を静め、霊的視野を取り戻さなければいけないようです。


2019-12-31
「謹賀新年」

明けましておめでとうございます。

昨年までは家族の問題があって更新もままならないことが多かったのですが、時間を取られる出来事が少なくなったので、今年は頑張って更新していこうと思っています。

目立たないサイトですが、コツコツと書いていきますので、本年もどうぞよろしくお願いいたします。

 


このページの一番上へ

 









inserted by FC2 system