スピリチュアリズム 

散歩道 (雑感) 2019


2019-03-01
「臓器提供」

私は子供の頃からコンプレックスの塊で、こんな自分なんていなくなっても何の支障もない、と思って生きてきました。
だからでしょうか、せめて死んだあとぐらいは臓器提供でもして誰かの役に立ちたい、と考えるようになりました。

その思いは祖母も母も同じで、臓器提供ができないなら、せめて検体でも、と言っていたけれど、結局はどちらも叶わずに2人とも逝ってしまいました。

今、臓器提供について考えています。
シルバーバーチを読めば答えは明らかです。
シルバーコードのことを考えると臓器提供などできるはずはないんですよね。
それでも、まだほんの少しだけウロウロしている自分がいます。

神が自分だけに与えてくれた身体なのだから、どのように扱おうと自分の責任において行えばい良い。
それも善意から出る行為だし、誰かの役に立つのだから、提供したからと言って咎められることもないはず。

ところが海外では、臓器提供を受けた人の性格とか好みが変わった、という話がよく聞かれます。
臓器が高値で売買されているため、その臓器を取るためにとんでもない犯罪が横行しているのも知っています。
臓器提供を受けた人の苦悩もよく聞きます。
一つ一つ考えていけば、バーチの言っていることはともかく、やはり臓器提供はすべきではないと思えてくるのです。

某宗教では輸血を禁止しています。
なぜ禁止しているのかは理解できないでもない。
もしも血液の中にエイズが入っていたら、肝炎ウィルスが入っていたら、と考えると恐ろしくなりますから。

もし自分が、臓器移植したら治るという病気にかかったとしたら、どうするだろう。
臓器移植どころか、胃ろうとか血液透析も絶対にやりたくない。
死んですべてが終わるなら、少しばかり長く生き延びるのも悪くはないけど、永遠に生きていくことを考えたら、早めに生を終えたいとさえ思うようになってきました。

たとえ病気で痛みが出たとしても、残りの人生を考えながら、病気の時にしか学べないこと、感じ取ることができないことをじっくり味わいながら自然に逝くことに決めました。

2019-02-17
「SNS拡散の原因・無知の正義」

昨年末、17年飼っていた愛犬を亡くしました。
老衰でしたが、脳梗塞を患っていたので介護は結構大変でした。
死というものは永遠の別れではない、ということは十分知っているので悲しみはないけれど、ふとした時に思い出したりすると、一抹の寂しさが心を占めます。

最近、飼い犬を躾と称して虐待していた動画が拡散されました。
愛犬を亡くしたばかりだったので、ワイドショーで放映された動画を見たら、亡くなった愛犬とダブってしまって、しばらく涙が止まりませんでした。

人間に換算すると100歳にもなる犬をいくら躾と言っても蹴とばすのは、誰がどう考えても正しいこととは思えないどころか、犬があまりにも可哀そう・・・
人間だって高齢になれば認識力が衰えるし、体力も弱っているし、内臓疾患だって出てきます。
犬でも同じです。

ボランティアの方が撮影された地域を特定し、助けに向かい、無事保護できたことを知ってホッとしました。

と同時にSNSの広がり方に怖さを感じました。
何の関係もない動画を見た人たちが、一部であっても飼い主に抗議をしたら、それはそれで虐待になるのではないかと。
抗議をした人たちは正義のつもりなのかもしれないけど、私は無知ゆえの正義だと思いました。

それだけでなく、あそこまでしなくても他に何か方法があったのではないか、と言っている人も多数います。
そうなると動画を発信した人の判断が間違ってた、と言っているようにも聞こえます。

私なりに過去の体験から考えてみました。

かなり前ですが、あるサイトの内容に感銘を受けて、そこの掲示板にコメントを書き込んだりしていたことがあります。
そこでは顔も知らない人たちと仲良くなって、私信メールでも時々やり取りするようになりました。
ここまでは何も問題はありません。

ある時、やり取りしているAさんからメールが来ました。
要約をすると、「Bさんが自分を攻撃してきている」、というものでした。

Bさんとも親しくさせていただいていたので、驚いて掲示板を開いてみると、多数の人がすでにBさんを攻撃していました。
書き込んだ人の中には、初めて目にしたハンドルネームの人までもいて、何が起きたのか私の方がパニックになったほどです。

書かれていることは事実なのかフェイクなのかわからないぐらいに、瞬く間に内容が膨らんでしまいました。

その時Bさんが「Aさんから直接抗議されるならまだしも、全く知らない人たちががどうして自分を攻撃してくるのかわからない」と書いてきました。

そこでハッとしました。
Aさんは私だけではなく、他の人たちにも同じメールを送っていたんだと。

それでその旨を掲示板に書き込みました。
Bさんのことを何も知らない人が、正義心からとはいえ一斉に抗議するのはいかがなものかと。

そうすると今まで抗議していた人たちは潮が引くように何も書かなくなりました。
正直な人が数人いて、自分は正義のつもりだったけど浅はかでした、と謝罪文まで書いてくれました。

すると今度は、今までAさん側に付いてBさんを攻撃していた人たちがAさんを攻撃し始めたのです。
結局その掲示板は閉鎖されました。

私のしたことも浅はかだったのかもしれません。
でも、その時の一連の出来事と現在の動画の拡散に同じものを見る思いがします。

「無知ゆえの利己的な正義」

自分は正しいと思っている確信が実は自分の魂を貶めている最大のものであり、そうした無知の正義が世の中に蔓延しているのだと。

悪意ではないので咎めることはできませんが、今一度自分の言動を確認してみる必要があると思います。

それ以上に、無知を一掃していかなければいけない、霊的真理を伝えていかなければいけない、と強く思いました。


2019-02-09
「虐待事件に思うこと」

最近だけでなく、いつの時代も虐待はなくなりません。
最近のニュースを見るたびに、心が痛み、胸が詰まります。

近所でも過去に虐待はありました。
直接見たわけではありませんが、聞くとかなりひどいものだったようです。
もう40年以上も前のことですから、近所の人が警察に言っても、家庭内のことは死傷が出ない限り関与できなかったのだとか。

今もそのご両親は健在ですが、虐待を受けた子供は家に寄り付きもしません。
そのご両親と時々話をするのですが、相当の変わり者。
子供のことを訊いてみたら、良い学校に行かせてやった、今は結婚して幸せに暮らしている、仕事が忙しいから家には滅多に来ない、というようなことを言っていました。

自分が子供を虐待してきたという認識はないのかもしれません。

虐待された子供が親になって、自分もまた子供を虐待するという負のサイクルは、当事者が歯を食いしばって止めなければ痛ましい事件はなくならないでしょう。


2019-01-20
「高校生の書道展」

友人がアマチュアの版画会に入っていて、版画展に行ってきました。
アマチュアとはいえ、素晴らしい作品が多かったです。

帰ろうとすると、同じビル内で高校生の書道展をやっているポスターが目についたので行ってみました。
県内の高校が団体出品しているものでした。
その高校の顧問の先生方の意向がとてもよくわかって、面白かったです。

最初に目についたのが般若心経の写経。

これは素晴らしいもので、黒い紙に金色の文字で書いてありました。
これはもう師範級で、感動しました。

普通の書道展で見られるような大きな作品はなくて、ほとんどが普通の半紙に書いたもの。
あまりにも作品数が多くてびっくり。

ほとんどの作品は有名な言葉ですが、中には自分で思ったことをそのまま書いている人も何人かいました。
自由に書いている人の文字は書道としては上手とは言えないけれど、個性的で面白かった。











これ以外にも本当に楽しい作品が多くて、 真面目に達筆で書いてある作品より数倍目に留まりました。

個人情報の問題があるので、名前は消させていただきました。

 


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