スピリチュアリズム


2018
 
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2018-10-18 「老いは可哀そう?」

飼っている犬が年老いて脳梗塞になり、介護が必要な時期になりました。
17歳の雌の雑種、中型犬です。
無駄吠えすることなく、いたずらもしないし、何の手もかからなかった犬ですが、半年前ぐらいから急激に老化が進み、今では家の中をフラフラと徘徊しています。
食事も、手で食べさせないと食べられません。

散歩に出かけると近所の人が言います。
「可哀そうにねえ」

この「可哀そう」というのは、介護で時間をとられている私のことを言っているのか、犬が年老いたことを可哀そうだと言っているのか、どっちなんでしょう。

かなり前の新聞に「可哀そうというのは、対岸の火事だから言える」 というようなことを書かれているのを読んだことがあります。
今、まさにその言葉を実感しています。

確かに、近所の人にとっては他人事なんですよね。

できれば、この犬はしっかり面倒を見てもらって幸せだね、あなたも最後まで面倒を見られて幸せだね、と言ってほしいと願うのは我儘なのかしら。

2018-10-3 「台風24号で停電」

台風24号は、大きな台風でした。
私が住んでいるところでは、部分的に停電が起きました。
それも、寝ようとしていた真夜中の時間にです。

もしかしたらウチだけ?
と思って外に出てみたら、隣もそのまた隣も真っ暗。
街灯も点いていませんから、一面に真っ暗。

さっさと寝ればいいのに、こういう時って目が冴えてしまうものですね。
外に出てしばらく空を見上げていたら、心地よい静寂を感じました。

普段でも夜中は静かなのですが、月と星以外に明かりがない屋外では、明かりさえも音の一部だったのだと気が付きました。
明かりがついている中では静寂さは感じませんから。

ろうそくを立てるのは火事になると危ないということで、家の中では各自が懐中電灯を持って移動。

停電になって思ったのは、今更なのですが、どれだけ電気に依存して生活しているのだろう、ということ。
電気が使えなかったのは24時間ですが、洗濯ができない、テレビもパソコンも使えない。
スマホはあるけれど電力を消費しないように考えると、あまり使えない。
ガスと水道は使えたので、料理はできました。
でも、換気扇が使えないので、ニオイの強い料理は敬遠しました。

24時間たって突然電気が点いた時は、「ヤッター!」でした。
外に出てみたら、嘘のように明るいではありませなんか。
こんなに明るい夜をずっと過ごしてきたんだ、と思うと、シルバーバーチの言葉を思い出しました。
平穏の有難さがわかるのは嵐の中においてこそです。
晴天の気持よさが分かるのは雨の日があるからです。
このようにすべてが両極の原理で成り立っているのです。
もしも全体が光ばかりだったら、光の有難さは分かりません。
そうした違いが分かり自然の摂理のすばらしさが分かるのは、そのコントラスト、比較対照の原理のお陰です。

(11-64)
でも、あと2日ぐらいは停電生活でもよかったかも、なーんて思いました。
あの静寂さは本当に心地よかったですから。

2018-7-29 「障害者殺傷事件」

ちょうど2年前、神奈川県の相模原の障害者施設で19人が刺殺され、26人が重軽傷を負ったという痛ましい事件が起こりました。
被害者の方と、そのご家族、施設の方たちのショックはいか程のものだったでしょう。

事件をおこした理由を聞いて唖然とした人もいれば、共感した人もいたと思います。
この事件に共感した人は、自分のことしか見えていない人なのでしょう。
それも今の自分だけ。

ただ、どんな理由があるにせよ、自死を含め、人間が人間の生命を絶つことは絶対にいけないし、そんな権利もありません。

事件をおこした人も、霊的真理がわかっていたなら、障害者は不幸しか生み出さない、なんて決して考えなかったことでしょうし、事件も起こさなかったことでしょう。

人は何のために生まれ、何のために生きるのでしょうか。
スピリチュアリズムを理解している人なら誰でもわかります。

「成長するため」 です。

何を通して成長するかは人によって違いますが、人間である以上誰でも、 「成長するために生きている」 ということです。

身体に障害があったとしても、その人自身の霊は正常です。
正常な霊がいばらの道を自ら選んで生まれてきたそうです。
とても強くたくましいと思います。

私はヘタレですから、こんな勇気のある決心はどうあってもできないです。
障害の方、それも重度の障害を持つ人生を決心をした霊には、私は心底から頭が下がります。

家族もまた、重度の障害の子供が生まれるとショックかもしれませんが、その子とともに生きることでいろいろな体験をして、成長していきます。

「人は何のために生まれ、何のために生きるのか」 ということを知らないと、自分にとって不要なもの、都合が悪いものは無くしてしまえばいい、という安易な考えが起きてしまいますから、やはり、正しい知識は必要です。

2018-4-30 「口臭が消えた!」

誰もが1度や2度は体験していると思いますが、口臭が強い人とお話をするとかなりツラいものがあります。
百年の恋も一瞬で消えてしまうほどの威力ですから。

そんな口臭の元が、もし自分だったら・・・これってめっちゃ恐怖です。
私の場合ですが、奥歯の歯間に雑菌が繁殖しやすいところがあって、使った後の歯間ブラシから口臭の臭いがすることがあります。
そうしたらもお大変!
1日に何度も歯を磨き、歯間ブラシを使います。
そして、歯間ブラシに臭いが移らなくなったらやっとOK。

口臭がするときとしない時の差っ! って何だと思います?

唾液の分泌が低下すると口臭がする?
虫歯?
歯槽膿漏?

私の体験から言うと、体内が酸性に傾くと口臭は出るし、便臭も強く出るように思います。

しばらく前から炭水化物を減らす低糖質ダイエットを始めました。
もちろん動機はダイエットですが、続けていたら不思議と口臭は無くなり、便臭まで少なくなりました。
トイレに行って大きい方をしたにも関わらず、臭いが蔓延しないのって気持ちが良いものです。

口臭のないある日、友人に誘われてファミレスに行って、普通に完食!
すると翌日、またしても歯間ブラシから臭いがしたし、便臭も出てる。
えっ!? って感じでした。
歯間ブラシを洗いながら使うのですが、何度洗っても臭いが付いています。
本当にショックでした。

そこで、糖質を過剰に摂ることで身体が酸性に傾き、口臭も便臭も出て、もしかしたら免疫機能も低下するかもしれないということに思い至りました。
身体が酸性に傾くと 何もしなくても疲れるし、ダルさを感じます。
テレビでは、貧血状態だと体がダルく感じることがある、と言っていましたが、身体の酸性も関係しているんじゃないかしら。

それに気が付いてからは低糖質を続けています。
私はベジタリアンですから、豆類以外のたんぱく質は 鰹節以外はほとんど頂きません。
動物性のたんぱく質も身体を酸性に傾ける要因だと言われていますから。

今は雑菌による口臭は全くしていないと思います。
朝起きた時も、歯を磨かなくてもモヤモヤ感はまったくありません。
もちろん、ちゃんと磨いてます。

付録ですが、足の裏の魚の目も消えました。
身体の酸性に関係があるかどうかはわかりませんが、とにかく消えました。

雑菌の繁殖力って本当にすさまじいです。
今の私にとっては、雑菌力が健康のバロメーター・・・かな。

2018-3-19 「貴乃花部屋の暴行事件」

もしかしたらと思っていたら、やっぱり起きてしまいました。
しばらく前に、元横綱の日馬富士関が貴乃花部屋の力士に暴行をしたということで、引退に追い込まれました。
これは日馬富士が自分でしでかしたことなので、これに関してはとやかく言う気持ちはありません。

言いたいのは、貴乃花親方の態度です。
日馬富士が良くないのはわかるけど、それにも増して親方の行動が気になっていました。
ちゃんとした説明をしなかったどころか、協会に背を向けるような態度だったことです。
週刊誌や新聞でも大きく取り上げられていたけれど、私たちには到底理解しにくいこと、当人たちにしかわからないことがあるのでしょう。
ただ、相撲音痴の私にもわかることはただ一つ。
必要以上に追い詰めれば自分も同じ憂き目にあう、ということでしょうか。

壁に向かって勢いよく水を放射すれば、その勢いが強ければ強いほど跳ね返る水は強く自分に戻ってきて、自分もびしょ濡れになります。
弱い放射なら、それほど濡れることはないでしょう。

今回の弟子の暴行事件はそうした法則によって、跳ね返ってきたことなんだなあと思います。

こういうことはよくあることで、私自身何度も体験してきました。

ある人のことで あまりにもムシャクシャして、つい第三者に愚痴ってしまったことがあります。

「あの人ってワガママだよね。
人の話は聞かないし、自分だけが正しいと思い込んでいるんだから。」

みたいな内容だったと思います。
その時に第三者から言われました。

「あなただって同じじゃない。
人の話を理解しようとせずに自分だけしゃべっているじゃない。
まるで自分だけが正しいと言わんばかりに聞こえるわよ。
あの人のこと言えないんじゃないの。」って。

ガーーーン‼
頭の上に何かが落ちてきたような衝撃でした。

過ぎたることを言えば、それは自分のこと そのもの。
自分と同じだから気になるし、腹も立つ。

よく 「人は自分を映す鏡」 だと言います。
なるほど、そういうことかと猛反省しました。

それ以来、人のことを悪く思う気持ちが湧いた時は、それは自分自身のことではないのだろうかと考えるようになりました。
自分はその人がなぜそういう言動をするのかをちゃんと理解しているのだろうか、表面だけを見て感情的に悪く思っているだけなんじゃないかと。

聖書の中にこんな一節があります。
要約すると、

ある1人の罪深い女が引っ張り出され、「立法では罪を犯した者は石で打ち殺せ、と言われているが、イエスよあなたはどう思うか」 と問いかけられ、「あなた方の中で罪のない者が、まずこの女に石を投げつけるがよい」 とイエスが言うと、1人また1人と そこから立ち去ってしまった。

罪を犯したことがない人は1人もいないから、誰もその女を罰することができなかった、というものです。

シルバーバーチは1度たりとも人を責めたことがありません。
間違いは指摘しても、責めることは決してありません。
私もそうであらねばと思っていますが・・・これがなかなか難しいことなのです。

2018-01-23 「ピンとキリ」

物でも人でも、人間の目から見るならピンからキリまで存在します。
物質ならさしずめピンとキリでは値段が違いますが、これが人間となると値段がつけられません。
いわゆる、「生命に値段は付けられない」というやつです。
もちろん、それはそうです。
だって、生命は人間が造り出したものではなくて、神の分霊なのですから値段がつけられるはずはありません。

いまだ地上にいて成長の旅路を歩み続けている身としましては、ピンの人にはなかなか出会うことはないのですが、それに近い人には時々会えたりします。
ただ、何をもってピンかというなら人間国宝のように技術に長けた人ということではなくて、あくまでも人間性、霊的成長度、利他愛の大きさ、とでも言ったらいいでしょうか。
たとえ身体に障害があったとしても、脳に障害があったとしても、霊は正常なのですから、人間国宝だからとか、ホームレスだからとかという見方は致しません。

ピンに近い人と話すと心に楔(くさび)が打たれるというか、清涼感というか、そのような感覚を覚えます。
言葉は言霊(ことだま)とも言いますから、同じ言葉を発したとしてもピンに近い人の言葉からは愛が伝わってきますし、多くを語らなくてもとても魂が落ち着くと言いますか、そんな感じを受けます。

ところが、キリに近い人と出会うと、雰囲気だけで自分が拒否反応を起こしてしまいます。
落ち着かないんです。
もちろん、そんなことではいけないんですけどね。

自分がこういう内容のことを書いていると、今度は自分がそういうジャッジを受けてしまうので この辺でやめておきましょう。

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