スピリチュアリズム 

ちょっとスピリチュアルな
短編小説

第29話
「幸せの年賀状」

1年が過ぎ去り、また新しい年が始まった。
年は新しくなったのだけれど、私は何か変わっただろうか。
コロナでの自粛生活を過ごしている内に、何だか自分の内面が淀んで腐りかけているような気がしている。

これもご時世。
遊びに行きたい思いを優先させることがコロナにつながると思うと、身勝手な行動を慎まざるを得ない。
自分1人ぐらい腐ったって、世の中にそれほど影響はない。
だけどコロナにかかったら周りへの影響は大きいから、やっぱり自粛するのが一番のようだ。

私は1人でアパートに住んでいる。
両親は別のところに住んでいるが健在だ。
いつもなら年末から実家に行くところだけれど、今回はコロナ禍の中で風邪を引いてしまったので、実家には帰らずにアパートで年越しをした。
コロナでなくて幸いだったと思う。

1人でお雑煮を作り、スーパーで買った出来合いの小さなおせち料理とミカンを炬燵の上に並べて、雰囲気だけ新年の始まりを作ってみた。
録画しておいたドラマを見ながら、1人でお屠蘇を飲み、お雑煮を食べ、テレビ画面でお寺の様子を見ながら簡易的に初詣でをした。
何とも味気ないが仕方がない。

年々少なくなりつつあるけれど、今年もまた年賀状が届いた。
郵便屋さん、元日からご苦労様。

仲の良い友達とはラインで連絡を取り合っているけれど、それはほんの数人だけ。
それほどでもない友達とは年賀状で年1回の挨拶だけになっている。

結婚しました。
子供が生まれました。
海外旅行に行きました。

あー、そうですか、そうですか。
皆さんお幸せでよろしいこと。
私は未だに独身。
そうです、いわゆる売れ残り? 行き遅れ? お局? つまり誰もが思うような幸薄い女なんですわ。

そういう私でも、かつては結婚してもいいと思える男性もいたけれど・・・悲しいことにフラれた・・・
虚脱感と悲しみから抜け出すのにどれぐらいかかっただろう。
未練たらしく振舞うのは自分らしくないと思って、懸命に何事もなかったかのように過ごした。
心はいつも涙で溢れていたのに。
それもいつの間にか時間の経過とともに薄らぎ、今では平々凡々な毎日を過ごしている。

同僚や友人たちはすでに結婚している人が多くて、その人たちと話すと、子供の話、保育園の職員の話、子供が通っているサッカーとか野球の話などなど、私とは縁のない話が延々と続く。
笑顔で聞いているふりはするものの、全くついていけない。

中には私と同じ独身の女性もいるのだけれど、話す内容は韓流ドラマとか歌手の話やファッションのことばかり。
それはそれで辟易とする。
能天気でいいよね。

話を戻すと、同級生同士の年賀状は年に一度の幸せ披露会に思える。
写真付きの年賀状を並べてみると、幸せのごった煮にも見えてくる。
ああ、いやだいやだ、自分の薄幸を後押しされているようで、もし誰かが一緒にいたら きっと仏頂面だと指摘されるだろう。
残念ながら、私には みんなに披露できるほどの自慢話も幸せ話もない。

中には年賀状ではなく、直接電話してくる人もいる。
あけおめ! 元気〜? で始まるけれど、結局は自分のことしか話さない。

お正月は意外と暖かい日に恵まれることが多い。
あまりにも暇なので、近所のお宮に初詣に行くことにした。

風もなく、青空が広がり、爽やかで穏やかな日だったが、それでもコートがいるぐらいの気温ではある。

年が新しくなったからといって、特別 何かが変わるわけではないが、川べりを歩いていると、水の流れがいつもより心地よく感じられた。
いつもと同じ風景なのに、お正月だと特別感があるのはなぜだろう。

冷たい空気と暖かくて心地良い日差し。
相反するもののようでありながら その2つを同時に感じた時、不思議に小さな幸せ感に包まれた。

世界を見渡すと、病気なのに病院にも行けず、お腹がすいているのに食べることに事欠いたりしている人たちがたくさんいる。
国内でも、コロナの影響をまともに受けて、職だけでなく住むところも失った人がたくさんいると知った。
でも私は病気もしていないし、金持ちではないが、好きな服も食べ物も、ささやかな生活を維持できている。

そんなことを無意識に考えていると、携帯が鳴った。

「琴音? あけましておめでとう!」

同じ独身仲間の花梨からだった。
花梨はほとんど連絡を取り合わない友人の一人。
確か年賀状は届いていたよな。
どうしたんだろう。

そう思いながら電話に出ると、父親が亡くなったという知らせだった。
年賀状を出したあとで亡くなったので、喪中はがきを出せなくてごめんなさい、と謝ってきた。
年末に葬儀を終え、年を越してやっとひと段落したという。

花梨が
「両親ってさあ、いつまでも生きていてくれると錯覚してた。
親孝行、したい時に親はなし、って言葉が身に沁みるよ。
琴音も私みたいに後悔しないように、今の内にちゃんと親孝行しときなね。」

花梨は父親の思い出話をしていたが、途中で思い出したように同級生の年賀状のことを話し始めた。

「子供の写真付きの年賀状を送ってくる人って結構いるじゃない。
そういうのってさ、今までは独身の私にあてつけで送ってきてると思ってた。
頭ではそうじゃないってわかってるのよ。
へへへ、これってひがみ根性丸出しだよね。
でもね、今年は違ったんだ。
私も琴音と同じ独身だけど、なんだか年賀状に写ってる子供の写真を見たら泣けてきちゃって。
この人たちの幸せがずっとずっと続くといいな、って思っちゃった。
家族写真は私への当てつけじゃなくて、幸せのおすそ分けなんだなあって初めて思えた。
父親が亡くなったからそう思えたのかもしれないね。
幸せな人見てひがむのは、自分が不幸の証拠。
幸せな人を見て心が温かくなるのは幸せの証拠。
なんだかそう思えてきたの。」

その後も花梨の話は続いたが、自分から電話をかけてきたのに「他の友人にもお知らせの電話しなくっちゃ」と言って、一方的に話すだけ話してそそくさと切られてしまった。

『幸せな人を見て心が温かくなるのは幸せな証拠』という言葉がやけに耳に残った。

そうか、そうだよね、今ならわかるよ。
私は不幸だったんだ。
家族のいる人たちに嫉妬していたんだ。
結婚しててもしてなくても、幸せを手に入れることはできる。
今の私がそう。
職場にも友人との間にも何もトラブルがないから、平凡だけどそれがいいのかもしれない。
それに、こんなにうららかな日を満喫できるなんて、ホント幸せだし、贅沢だよね。

花梨とはメアド交換もライン交換もしていないので、ショートメッセージで
「花梨、今まで気づけなかったことを気付かせてくれてありがとう!
今年もよろしく。」
と送っておいた。

人間って、思い方一つで不幸にも幸福にもなれるんだ、と改めて感じさせられた年始めになりました。

― end ―

2021 / 01 / 01


 

 










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