スピリチュアリズム

第7話 「本当の愛を取材したら 」

女のアラサーという年齢は、社会的に見ると微妙な位置にいる。
仕事に生きがいを感じて、男性も太刀打ちできないぐらいのキャリアウーマンもいるが、そうした実力がある女性はそんなに多くない。
「 結婚したら自由に遊べないから 」 と言って、遊ぶだけ遊んで、慌てるように結婚していく人もいる。
そして、美菜は現在28歳。 立派なアラサーだ。
短期大学を卒業して女性雑誌の出版社に入社してからずっと、仕事一途で突っ走ってきた。 そして、ふと周りを見たら、同期の女性の半分はすでに退職していた。 結婚で辞めた人もいるし、転職するために辞めた人もいる。
この日は外回りが多かったせいか、退社時刻になって疲れがピークに達した。
いつもならアパートで自炊するのだが、今日は外食にしようと決めて、ファミレスに入った。
女が一人で外食するのは少し気が引けるものだが、美菜は気にしない。 いろんな人がいて、ガヤガヤした雰囲気の中で1人でコーヒーを飲みながらゆったりとした時間を過ごすのが好きなのだ。
この日も、ドリンクコーナーから持ってきたコーヒーを少し横にずらして置いて、コンビニで買ったファッション雑誌を広げた。
すると、すぐ後ろに座っている4人の女子大生らしき人たちの話が聞こえてきた。
ねえねえ、経済サークルのE君って知ってる?
チョースタイルが良くってさあ、めっちゃイケメンだよねえ。
タイプなんだよなあ。」
ちょっとお、あんたさあ、気が多すぎない?
この前はK君のこと好きだって言ってたのに、もう鞍替えなの?
信じられなーい。」
かなり大きな声で話しているので、いやでも耳に入ってくる。
学生たちの話はどんどん進み、お決まりのように、お互いの恋愛論に発展した。 恋愛と結婚はイコールかどうか、恋人にしたいタイプと、結婚相手に選びたいタイプの違いとか、自分が理想とする結婚生活など、まあ、よくもしゃべるしゃべる。
いささか呆れながらも、美菜はかつての自分もそうだったなあと、苦笑しながら他愛もない話を聞くともなく聞いていた。
後ろでワイワイ話している学生たちの話を聞きながら、次の記事は、いつの時代も女性にとって興味の的である 『 愛 』 について書いてみようと考えた。
最初は誰に取材をしようか・・・
いろいろ考えた結果、まず、自分の直属の上司である編集長の奥様に取材をさせてもらうことにした。
もちろん、編集長には内緒で。
奥様は愛を感じたことはありますか?」
平々凡々で波風のない時は、愛なんて考えたこともなかったわね。
主人は会社では良くしゃべるみたいだけど、家ではとにかく無口で、仕事だけが生きがいの人なの。
10年前に子供に先立たれたんだけど、それはもう、つらかったわ・・・
子供に先立たれた親ほど不幸なことってないのよ。
でも人間っておかしなものね。
以前は主人は単なる同居人だったのに、子供が亡くなってから繋がりが深くなったというか。
あれだけ無口な人が無理して冗談を言ったり、旅行に行こうと誘ってくれたりして、塞ぎ込んでいる私の気が晴れるようにしてくれたの。
自分だって辛かったでしょうに ・・・
今まで私の誕生日なんて忘れていたのに、ブローチを買ってきてくれた時は涙で前が見えなくなったぐらいだったもの。
無粋な男の人が私のためにブローチを探しているところを想像しただけで、もう胸が熱くなっちゃって ・・・
それまでは形だけの夫婦だと思っていたけど、本当は愛があったのね。
平凡な生活の中では愛は感じられなかったのに、息子という最愛の宝を失って初めて、別の宝に気がついたんですから。
“灯台もと暗し” ってこのことね。」
一言でいうと、“愛” って何だと思いますか?」
“思いやり” かしら。
相手を大切にすることが “愛” だと思うわ。」
編集長の奥さんの話を聞いて、いつかは自分も体験するであろう “夫婦愛” というものを考えさせられた。
次に 「子供クラブ」 を営んでいる人に取材してみた。
ここは学童保育のような感じだが、遊びを通じて子供社会に適応できるようにしているところだ。
“愛” をどんな風に考えていらっしゃいますか?」
目先のことに振り回されるんじゃなくて、長いスパンで考えて、この子に何が必要か、何が不必要かを見極めてあげることでしょうか。
この子が将来困らないようにするには、何を教えて、何を思いとどまらせるかとか、いくらやりたがっても、この子にマイナスになると思えば止めさせたり、いくら嫌がっても、覚えておかないと困ると思えばしっかり教えるとか。
これは子供だけではなくて、誰に対しても言えることだと思います。
すべてに応用がきかなければ愛とはいえませんからね。」
子供クラブの人の話を聞いてから、美菜の頭の中には 「長いスパン」 と 「すべてに応用がきく」 という言葉がやけに心に残った。
次に取材したのは、あるお寺の尼さんだった。
尼さんなら “愛” そのものについての悟りを開いているかもしれない。
そんな思いからの取材だった。
あなたにとって “愛” とは何ですか?」  
お恥ずかしいことなんですが、実は、私は恋愛に失敗して生きる希望を失ったんです。
余りにも苦しくて自殺を試みたのですが、失敗しまして、それで尼になったんです。
尼になったら、自分の何がいけなかったのか、何が間違っていたのか、これからどう生きて行けばいいのかが分かるような気がして。
それで、“仏の慈愛” を学ぶためにこの道に入りました。
残念ながら、答えはまだ出ていませんが。
でも、“仏の慈愛” と “恋愛” が違うということだけは確かだと悟りました。」
恋愛は本当の愛ではないと悟ったということですか?」
ええ、恋愛は錯覚した愛です。
クリスマスのイルミネーションと同じ。
綺麗なのは暗い中で見る時だけで、太陽の下で見たら、電気の線とか裏方が丸見えでしょ。
みんなそれを知っているのに、イルミネーションには惹かれるんですよね。
恋愛は心の病気だって分かっているのに、惹かれてしまうのと同じだと思うんです。
本物は、太陽の下で見ないと分からないのよ。
恋愛も同じで、自分の愛情が本物かどうかは、恋愛が覚めて初めて分かるの。
もちろん、相手の愛情も、恋愛が覚めれば本物かどうか分かると思うわ。
それと、恋愛はすごく身勝手な愛情。
男を自分に振り向かせるために、あの手この手を使うじゃないですか。
嘘も尽くし、演技もする。
その人のためなら命も惜しまないと言うけど、それも、その男を自分のものにするための手管。
ひどい時は、親が泣くことも、友情を裏切ることもしてしまう。
嫉妬が妄想へと変わったりもするでしょ。
可愛さ余って憎さ百倍、ってとこね。
憎しみも愛情の裏返しなんでしょうけど、憎しみは良くない感情。
私も一時期、相手を自分だけのものにしたくて、殺すことさえ考えました。
その人が死ねば、もう他の女のところへは行けないし、他の女も彼には手出しできませんから。
もちろん、思っただけですよ。
結局、自分が死んで相手に憑りついてやろうなんて考えて、自殺を考えたんです。
恋愛って、理性も何もかも吹っ飛んで、場合によっては常軌を逸脱した状態になってしまうんです。
こんなの、本当の愛のはずはないでしょ。
そう思うと、キューピットは本当は天使じゃなくて、悪魔の手先なのかもしれないわね。
仏に仕える身なのに、キューピットなんていう発想はおかしいかしら。」
そう言って、尼さんは口に手を当てて笑った。
尼さんの話を聞きながら、美菜は人間の業の深さを垣間見た思いがした。
次は、キリスト教のシスターから話を聞いた。
キリスト教では “愛” というものをどのように教えているのですか?」
これは聖書の中にはっきり書かれています。
“友のために命を捨てること、それより大いなる愛はない” と。
それを実践された方がいらっしゃいました。
ご存知のように、ナチスのユダヤ人弾圧は酷いものでした。
ある日、脱走者が出たせいで、まったく無関係の人10人が餓死刑になることに決まったそうです。
ところがその10人の中に “私には妻も子供も居る! 死ぬのは嫌だ!” と、叫んだ人がいたそうです。
その時コルベ神父様という方が、その人の代わりに餓死刑に服すると申し出られたんです。
ところが、2週間たっても餓死しなかったため、注射を打たれて亡くなりました。
コルベ神父様はイエス様の教えを実行されたすばらしい愛のお方です。
私も、そういう純粋で無償の愛の持ち主になりたいと思っています。」
すごいお話ですね。 でも、それは犬死ではないのですか?」
そう仰る方もいますが、身代わりになっただけではなくて、アウシュビッツの中にいる時から、人々をを励まし、餓死室の中にいても、他の方を励ましておられたそうです。
今でも、コルベ神父様の信仰は私たちを励ましてくださいます。
その影響の大きさを考えたら、決して犬死ではありません。
本物の愛というのは、神の愛ですから、決してないがしろにされることはありません。
神の愛を実行された方は忘れ去られることがないばかりか、他の人の生き方に大きな影響を与えるのです。」
美菜は、今まで聞いたことがない話に圧倒され、とても純粋でひたむきな信仰に心を打たれた。
しかし話に出てきたコルベ神父は特別な人で、クリスチャンだからといって彼と同じことを実行できるわけではないだろう。
この愛は “絵に描いた美しすぎる餅” のように思えた。
美菜がファミレスで会った女子大生は、 「愛=恋愛」 と考えていたし、少なからず自分もそう考えていた。 そして、好きな人と結婚することが幸せだと思っていた。
しかし、取材を進めていくうちに、愛にはいろいろな形があることに気がついた。
「親子の愛」 もあれば、「友情」 という愛、他には 「兄弟愛」 、 「夫婦愛」 、 「神や仏への愛」 もある。
この中に共通している愛、それが本当の愛に違いない。
そう考えながら最後に取材をしたのは、高校の時にいろいろ教えてくれた教師だった。
学校内では女金八と言われている熱血先生で、生徒のこととなったらなり振りかまわず走り回る人だった。
美菜はこの先生が大好きだったし、彼女の話をいつも吸い込まれるようにして聞いていたのを思い出したのだ。
久しぶりに母校を訪ねたら、懐かしさで心がいっぱいになった。
先生は以前と同じく、今でも女金八で通っていた。
美菜さん、あなたのことは良く覚えているわ。
いつも私の話を真剣に聞いてくれてたから。
本当の愛とは何か、ってことね。
難しい質問だわ。
私は今でこそ女金八と呼ばれているけど、中学の頃は悪いことばかりしてたのよ。」
先生が?」
ええ、そうよ。 びっくりでしょ。
ここだけの話だけど、 当時のグループに悪いのがいて、その影響をもろに受けていたの。
シンナーは吸うし、万引きはするし、エスケープは当たり前。
今思い出しても穴があったら入りたいぐらい。
ある時、シンナーをやっているところを通報されてね、両親が家にいなかったこともあって、代わりに担任が駆けつけてくれたの。
往復ビンタを覚悟してたけど、担任は警察では何も言わずにひたすら謝ってくれた。
帰り道を一緒に歩きながら、どうしてこんなことをしたんだ? と聞かれて、友達に誘われて断れなかった、と答えたら、私にこう言ったの。」
いくら誘われたからといっても、やったのは自分だろ。
人のせいにしてはいけないな。
自分でいけないと思ったなら、自分で断らなければいけないんだ。
人は誰でも2つの心を持っている。
1つは善意、もう1つは悪意。
その2つの心を理性でコントロールできないのは、自分に負けるということなんだ。
自分に負けたなら、誰のせいでもなく、自分のせいなんだぞ。
それを人のせいにしてはいけないな。』
その話はなんだか心にズシッときたけど、自分がこれからどうしたら良いか分からなくなって聞いたら、
もし、自分のやったことの罪滅ぼしがしたいと思うなら、誰かの力になってやれ。
自分のことより、他人のことを大切にしろ。
自分が悪いことをしたと気が付いたら、10の良いことをしろ。
間違っても、他の誰かを悪い道に誘い込むことだけはするな。
悪の連鎖は自分で断ち切れ。
悪さは今夜限りで終わりだ、いいな。
それ以来、悪いグループとは縁を切ったの。
もちろんグループの制裁は受けたけど、逆にそれでよかったと思った。
それ以上の悪い深みにハマっては行きたくなかったからね。
悪い心も善い心も連鎖するのよ。
私は善い連鎖が本当の愛だと思う。
小さい失敗はどっちでも良いの。
見返りを期待せずに、その人の魂にとってプラスになることをしてあげること。
これが大切だと思う。
こうした善の思いが担任から私に連鎖して、私から生徒たちに連鎖していく。
好きとか嫌いとか、そういうちっぽけな感情で判断するんじゃなくて、理性を
しっかり使って善の連鎖を断ち切らないこと、これが本当の愛じゃないかと思う。
自分と関わった人が、次に善い連鎖を繋げてくれて行ったら、世界はどんどん変わると思うんだ。
そして、この連鎖を自覚すると、怖いものがなくなるし、取り越し苦労だってなくなっちゃうんだから。
世の中には目に見えない力が働いていて、その力が自分を守ってくれているのよ。」
その目に見えない力って・・・ 」
そう聞いたら、先生は優しくささやいた。
それはね、神様の愛なのよ。
善意が連鎖するのは、神様が働いてくれている証拠なの。
それに、神様が自分を通して働いてくれたことって、死んでから自分の功績にしてもらえるんだから。」
それを聞いて、シスターの言っていた 『 神の愛を実行された方は忘れ去られることがないばかりか、他の人の生き方に大きな影響を与えるのです 』 という言葉と繋がった。
コルベ神父の話は、決して絵に描いた餅ではなかった。
考えてみれば、マザーテレサの連鎖はすごいものではないか。
彼女一人の姿勢が、全世界に波及しているのだから。
今回取材したことは、かつてないほど大きな収穫になった。
自分はマザーテレサにはなれないけれど、連鎖する1人にはなれそうな気がする。
そして、善意の連鎖を自分で止めてはいけないと感じた。 
さて、この 「愛について」 をどうやってまとめて記事にしたものか ・・・
この記事が成功すれば、善の連鎖が広がるかも。
とにかくしっかり仕上げて載せなくては。
熱い思いを感じながら、美菜は会社に向かった。 

― end ―

2009 / 11 / 07 初編
2014 / 05 / 11 改編
         




















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