スピリチュアリズム

ちょっとスピリチュアルな

短編小説

第2話 「苦しみは試金石」

人生というのは、決して自分の意のままには進まない。 時として青天の霹靂ともいうべき道に追いやられることもある。
              
ある日の午後、村の診療所で医者として働いている正人は、コーヒーを飲みながら、この村に来る以前のことを思い出していた。
なぜこんな過疎の村に来たのか・・・
今になって思えば、何か目に見えない力が動いて、自分をここに来るように仕向けたとしか思えない流れがあった。
東大の医学部を卒業した後、叔父が医者をやっていたこともあり、そのコネで国立の大学病院に入った。 いわゆるエリートである。 その後は、順調に外科の准教授にまで昇格した。 ぶっきらぼうな物言いはするが、手先が器用なので外科医としては申し分なかったし、真面目で清潔感があることで、患者の受けは悪くなかった。 やがて結婚し、子供も生まれた。
こうして順風満帆かと思えた生活だったが、あるとき刑事事件に巻き込まれてしまった。 
事のあらましはこうだ。
ある日の午後、突然警察が病院に踏み込んできて、薬剤師の美香が連れて行かれた。 翌日、正人もその関係者ということで警察に任意同行を求められた。
正人は刑事から話を聞いて驚いた。 美香は麻薬中毒に陥っていたということだった。 刑事が言うには、美香は病院の薬局から手術用の麻酔薬をくすね、自分が使うだけでなく、他の人に転売していたらしい。 そして、麻薬を手に入れた経路として、美香が正人の名前を使って書類を偽造していたことがわかった。 つまり、正人は美香に利用されていたことになる。 
正人自身は事件には直接関係がないことは証明されたが、この一件で、美香と不倫関係にあった事が発覚してしまった。 同時に、病院のずさんな管理体制も浮き彫りになってしまった。
こうしたことがあって、マスコミが病院に押し寄せ、院長をはじめ、教授たちも記者会見をせざるを得なくなった。 もはや病院は握りつぶそうにも握りつぶすことができない状況にまで追い込まれてしまったのである。
当然ではあるが、正人の名前だけでなく、顔写真までもが新聞や週刊誌に載り、不倫関係にある美香に麻薬を横流ししたということがクローズアップされていた。
もちろん、麻薬の横流しには正人は一切関係していないのだが、世の中はそんなふうには見ない。 マスコミは記事になることなら、個人の人権など容赦なく踏みにじる。 それだけでなく、単なる噂話でさえ本当のように書きたてる。 それも誇張して。 読者はそれを真実だと思い込んでしまう。 マスコミはどこから情報を手に入れたのか、この時に正人の医療ミスまで暴きだしてしまった。
正人が犯した医療ミスというのは次の通りだ。
手術の執刀を任されて間もない頃、交通事故で脊椎を損傷した患者の手術をしたことがある。 ところが、術後に大変な内出血があり、気が付いた時はすでに手遅れだった。 それが元で患者は昏睡状態に陥り、命を落としてしまったのだ。
さっそく解剖が行われて、原因を究明することになった。 すると、こともあろうに、手術をした際のボルトの固定が甘く、それがズレて動脈を圧迫したあげく血管を傷つけ、内出血を起こしていたことがわかった。
ところが病院側は、解剖の結果、患者が亡くなったのは手術ミスではなく、術後の感染症が原因だと家族に伝えていた。  当然、家族はそれを信じていた。 そうした一連をマスコミが暴き出したのだった。
 “ 有名国立病院に、悪徳医者! ”
 “ 医療ミスを犯した医者が、不倫相手の薬剤師に麻薬の横流し! ”
というとんでもないタイトルが書かれていた。
更には、正人がその薬剤師を売人に仕立て上げ・・・とまで。
それに加えて手術ミスの発覚は、正人を地獄の底に突き落とした。
有名国立大学病院の権威を失墜させたということで、当然の如く病院を辞めざるを得なくなった。 正人一人に責任を負わせて辞めさせることで、病院の落ち度をうやむやにするのが狙いだった。 いわゆるトカゲのしっぽ切りである。 
幸いなことに、医師免許剥奪にまではならなかったものの、 妻は正人に離婚状を突きつけて家を出て行ってしまった。
こうして、正人は仕事も家族も一瞬のうちに失ってしまった。
生活のため、次に働く病院を探したが、このような問題を犯した医者を受け入れてくれる病院はどこにもない。  しばらくは預金を切り崩して生活していたが、離婚で多額の慰謝料を支払ったために蓄えが少なくなり、しかたなくドラッグストアで働いて生活費を補充していた。
医者としてのプライドはズタズタだった。
仕事が終わり、1人で食事をしながら晩酌をする日が続いていたある日、テレビで無医村の番組を見た。 その村では、医者に診てもらうには2時間かけて隣の町まで行かなければならない。 そんな村が日本中にたくさんあると言うのだ。
もちろんそうした現状を知ってはいたが、そんな僻地へ行くのは安っぽい正義感を持った者が行くか、もしくは腕が悪くてどこの病院でも受け入れてくれない三流の医者が行くところだと考えていた。 しかし、今はもうそんなことを言っている余裕はない。 自分はもはや三流以下の医者になっている。 医療ミスを犯し、刑事事件にまでかかわっている。 そんな自分を受け入れてくれる所があるのだろうか。
最後の望みをかけて、正人はその村に連絡をしてみた。  すると、意外にも、話はとんとん拍子に進んだ・・・ようにみえた。 というのは、村人の中に事件のことを覚えている人がいて、「 いくら医者が必要だとはいえ、そんなスキャンダラスな医者に自分たちの命を預けるわけにはいかない! 」 と言い出したのだ。
意見は二手に分かれたが、隣町まで行くのが大変な年寄りたちが、それでもいいから来て欲しいと強く発言した。 それで、背に腹は代えられないということで招かれることになった。 自分の命を預けることができない者は、隣町の病院に行けばいい、という結果に落ち着いたのだ。
そうした経緯があって、看護士も誰もいない診療所で、たった一人で医療にたずさわることになった。
とはいうものの、正人は、まだ過去を振り切ってはいない。 時間が空くと事件のことを思い出し、そのたびに悔しい思いに駆られた。
美香があんなことさえしなければ、何も起こらなかった・・・
自分は外車を2台も持っていた。 家も大きなのに建て替えたばかりだった。  教授になるのは目に見えていた。
それなのに、自分は地位も家族も経済も一瞬の内に全て失ってしまった。 全部アイツのせいだ!!
そんな思いが頭の中でぐるぐる回った。
そんな思いに捉われていた時、突然、一人の男の子が診療所に担ぎこまれてきた。 高い崖から転落して頭と背中を強打。 頭蓋骨が陥没、脊髄損傷、左大腿部が骨折していた。 幸いにも一命を取り留めることはできたが、CTをとらなければ詳しい様子がわからない状態にある。 ところが、この診療所にはそんな設備はない。 早く処置をしないと命が危ない!
応急処置をして総合病院へ搬送した方が良いのはわかるが、総合病院まで片道2時間はかかる。 救急車が到着する時間も加えると、それ以上だ。 ここで手術をするしかない。 そうは思ったが、過去の事件が脳裏に浮かんだ瞬間、自信が揺らいだ。
もしかしたら、この子は命を落とすかもしれない。 そうなったら、またしても手術ミスとなり、村の人たちの憎しみを買って、村を追われることになる。 しかし、救急車の到着を待って、それから総合病院へ搬送すれば、手遅れで命を落とす可能性が高い。  搬送中に亡くなるのであれば、自分に責任はかからないから、その方が良いのかもしれない。
そうしようか・・・  どうする・・・
患者の少年を目の前にして、色々なことが頭の中を駆け巡り、体が震えた。 しかし、この子供の命を放っておくことはできない。 いや、自分はどうしてもこの子供の命を救わなければならない、と思った。 その思いだけが正人を支え、助手もなく、たった一人で応急手術に臨んだ。
とりあえず応急手術は終わった。
正人が必死に頑張ったおかげで、ゆっくりと総合病院へ搬送すれば良いところまでになった。 子供の家族はもちろん、村の人たちは心から正人に感謝した。 今までの自分だったら、感謝されて当たり前のように受け止めてきたけれど、今度ばかりはそうではなかった。
自分は感謝されるに値しない人間だ。 むしろ、自分の方が村の人たちや怪我をした男の子に感謝の思いでいっぱいになっている。 医者という仕事が聖職であるという意味がやっとわかったような気がした。
以前の正人は、医者という仕事を職業としてきた。 自分の腕は誰にも引けを取らないし、他の医者ではできない手術をいくつもこなしてきた。 医者という職業は生活のレベルを上げ、他の人より偉いというプライドを満足させてくれた。 大学病院の准教授というステータスは、院内ではそれほどではなくても、次期教授の椅子が約束されていただけに、本当に心地よかった。 誰もが自分を尊敬し、一目置いてくれていた。
この立場を手にするためにどれだけ勉強し、どれだけ研究と臨床を重ねてきたことか。 医者になってからも学会やらなんやらで研究を怠らなかったのは、全て自分が満足をするためだった。 だから心づけも当たり前のようにもらっていた。 いや、腕の良い自分が手術をしてあげるのだから、患者の家族が自分に感謝してお礼を出すのは当たり前だというぐらいに思っていた。
ところが、重傷の子供を手術して初めて、今までの考えや思いは全て間違っていたと、やっと気が付いた。 この村に来られたおかげで、自分は医者として、人間として生き返らせてもらえた。
医者として大成しても、人間として傲慢であれば自分は価値がない存在になる。 今それにやっと気付かされた。
手術の後片付けをしながら、正人は感涙に浸っていた。
生と死のはざ間にいる子供と向き合っていた時、体から染み出る血液は生命の源であり、その生命はまさしく神の一部であると感じたのだ。
子供に意識がなくても肉体は生きようとしている。 いや、この子の魂が生きようとしているのだ。 そう思うと、自分が向き合っているのは子供ではなく、神なのだと感じた。 この子供を通して神が自分に語りかけていると思った。 正人は、手術をしながら感動で胸がいっぱいになっていた。
医者とはこんなにも神に近い存在だったのだ。
やがて救急車が到着し、正人は子供の搬送に付き添った。 救急車の中で正人は思った。 美香とかかわったせいで自分は大学病院を辞めざるを得なくなった。 自分はなんて運が悪いんだろうと、ずっと思っていた。 しかし、全ての原因は自分の中にあったことに気がついた。
美香の問題は美香の中にあり、自分の問題は自分の中にあったのだ。  いや、それより何より、不運だと思っていたことは実は不運ではなく、生まれ変わるための試金石だったのだ。  
磨かれるということは、なんと辛いことの連続なんだろう。 しかし、磨かれなければ、何の成長もないどころか、傲慢のままでしかない。 ここに来て、やっと人間らしい人間になる入り口にたどり着けたような気がする。
搬送に付き添う中、正人は医者という聖職につけさせてもらえたことを心から感謝した。
              
それから半年たち、崖から転落した子供が退院して帰って来た。 神と自分を繋ぎ合わせてくれたその子供の顔を見た時、かつてないほどの喜びが溢れた。 そして、名もない医者としてこの地で一生を送っていこうと決意を新たにした。

― end ―

2009 / 06 / 20 初編
2014 / 03 / 01 改編
      














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