スピリチュアリズム 

シルバーバーチを読みながら

 

2020-3-19
「津久井やまゆり園での事件」

判決が出ました。
何とも言いようのない思いがずっと続いています。

人はなぜ犯罪を犯すのでしょうか。
もちろんカルマが大きな割合を占めているのは分かっています。
でも、それだけでは説明がつかない出来事も存在するように思います。
その一つが 「津久井やまゆり園」 での事件です。

何度ニュースで見ても、もしかしたら精神を患っていたんじゃないか、と思いましたが、それだけでもないような気がします。

ふと「迷える霊との対話」を開きました。
その中に「犯罪および自殺をそそのかすスピリット」という章が出てきました。
以下にその内容を転載します。

【肉体離脱後も残る“犯罪癖”】
習慣とか願望、性癖といったものは精神の奥深く根を張っているもので、肉体を離れたのちも、当人の意志によって自然的に取り除かれるまでは、死後もずっとそのまま残っていることが多い。

とくに、処刑されて強引に肉体から離された場合は、恨みを抱き復讐の機会を求めて、いつまでも地上圏にとどまり、霊的なものに過敏な人間に対して、好き放題のことをすることがある。

われわれの調査によって、まさかと思うようなまじめな人間が、地上で殺人を犯したスピリットに憑依されて、新たにむごたらしい殺人を犯すというケースが少なくないことが分かっている。

事件を犯した植松被告は、とても真面目だったと言います。
もしかしたら霊的に敏感でありながら、霊的真理を知らないばかりか、霊的に成長していなかったために憑依されてしまったとも考えられます。
そう考えれば納得できることがたくさん出てきます。

被告も事件の犠牲になった人たちも、すべてはカルマによるものなのでしょう。
因果律は情状酌量の余地なく働きます。
被害者の家族の方々のほとんどは霊的真理を知らないでしょうから、植松被告が死刑判決を受けてもなお憤りは収まらないと思います。

しかし被告が死刑になったとしたら、こんどは他の敏感な人に憑依して別の事件をおこすことが考えられます。

そうしたことも含めて、私は死刑は反対なのです。


2020-1-1
「苦しみと楽観的」

シルバーバーチは常々、苦しみがその人を成長させると言っています。

あなたみずから苦しみ、あなたみずから艱難辛苦を味わい、人生の暗黒面に属することのすべてに通じてはじめて進化が得られるのです。
失意のどん底にある時は、もう全てが終ったかの感じを抱くものですが、実はそこから始まるのです。
あなた方にはまだまだ発揮されていない力 ― それまで発揮されたものより遥かに大きな力が宿されているのです。
それは楽な人生の中では決して発揮されません。
苦痛と困難の中にあってこそ発揮されるのです。
金塊もハンマーで砕かないと、その純金の姿を拝むことができないように、魂という純金も、悲しみや苦しみの試練を経ないと出てこないのです。
それ以外に方法がないのです。
(1巻-p56)

実は、私は体験値がとても少なく、艱難辛苦というほどの出来事に出会ったことがありません。

その私が霊的真理に出会い、少なからず理解できるようになったのは奇跡としか言いようがありません。

シルバーバーチを読み進めれば進めるほど、私の心に引っかかるのはこの “苦しみの体験” でした。
霊的真理は受け入れることができたけれど、苦しみが少ない私は成長しないのかしら、と。

近所のお年寄りの話ですが、嫁姑問題で苦労したとか、農家の嫁は出産後4日目にはもう畑に出たとか、嫁には給金はいらないから便利にこき使われた、みたいなことをよく聞きます。
世の中を見渡してみると、まさか、という事件も自然現象もたくさん起きています。

もし自分だったら耐え切れずに逃げ出していたかもしれません。
苦難に耐え切れないヘタレな自分だから、この時代を選んで生まれてきたのかもしれない、などと思ったりもします。

悩みと言えばそうしたことが悩みになるのでしょうか。
贅沢な悩みですね。

しかしある時、ヘタレだけれど自分の性格が功を奏していることに気が付きました。

ある日、友人が泣きながら電話をしてきました。
子宮筋腫が見つかったとのこと。
医者に、一日も早い手術を勧められたと言われた、ということで大泣きです。

実は、私にも子宮筋腫があります。
今すぐ手術が必要だとも言われました。
でも、筋腫は良性だし、成人女性の数人に1人は筋腫があるぐらいなので放っておいても大丈夫だろうと思って手術はしないことに決めました。
もしも筋腫が悪性に変わったとしても、それはそれで自分の運命なのだから甘んじて受け入れようと決めていました。

同じ病気でも、友人は不安がマックスで、私は先がどうなっていくか面白がっているわけです。

何が言いたいのかというと、友人は繊細な神経の持ち主で、私は能天気。
物事は考え方1つで苦しくもなるし、楽しくもなるということなんです。

― 質問者 ―
それを災難と受け取るのも進化のある一定段階までのことだとおっしゃるのでしょうか。

― シルバーバーチ ―
そうです。
それを災難と受け取る段階を超えて進化すれば苦しい思いをしなくなります。
苦は進化と相関関係にあります。
楽しみと苦しみは両極です。
同じ棒の両端です。
愛と憎しみも同じ力の二つの表現です。
愛する力が憎しみとなり得ますし、その逆もあり得ます。
同じく、苦しいと思わせる力が楽しいと思わせることもできます。
あなたの体験の“質”を決定づけるのはあなたの進化の“程度”です。
ある段階以上に進化すると憎しみを抱かなくなります。
愛のみを抱くようになります。
苦を感じず幸せばかりを感じるようになります。
難しいことですが、しかし真実です。
苦しみを何とも思わない段階まで到達すると、いかなる環境にも影響されなくなります。

(6巻-p193)

私は成長したから楽観的でいられるのではなく、子供の頃からそうでした。
先生から叱られても嫌だとは思わずに、そうかあ、そういう風にすればいいんだ、と考える子でした。
両親からはいつも、お前は毎日が楽しくていいねえ、と言われていたぐらいです。
だから、到達して苦を感じずに幸せばかりを感じられるようになったわけではなくて、生まれつきなんですよね。

とても有り難い性格のようです。


 




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