スピリチュアリズム

スピリチュアリズム

シルバーバーチを読みながら

 
2019-1-3 「大切なのは行い」

新年あけましておめでとうございます。
心機一転、頑張って行こうと決意を新たにしたところです。
ラベルはどうでもよいのです。
形式はどうでもよいのです。
口先だけの文句はどうでもよいのです。
大切なのは“行い”です。
つまり、各人の毎日の“生活”そのものです。

(第3巻 P71)
新年早々、少々手厳しい発言をしたいと思います。
某団体の人たちと話をしていて思ったことです。
シルバーバーチは「スピリチュアリズム」という名称はどうでもいい、とよく言っています。
ところが、某団体の人たちは、「私はスピリチュアリズムに一生を捧げる」と言われました。

どう思われますか?

言っている意味は分かります。
単純に言葉の違いだけだと思います。
「私はスピリチュアリズムの発展のために一生を捧げる」という意味だったのだと思うので、これはこれで良しとしましょう。

話は続きます。

「何を実践されていますか?」
と質問をしたところ、
「霊的真理を誰にでも話せるように、講義できるように話す練習をしています。」
「他には何を?」
「山登りをして身体を鍛えています。」

毎月のようにほぼ全員で登山に行っているというのです。
身体を鍛えるなら、別に山登りでなくてもいいんじゃないかと思うのは私だけでしょうか。
まあ、これも趣味のことなので良しとしましょう。

私が言いたいのは、次のことです。

某団体はシルバーバーチの霊訓を中心に学習を進めている、と言っています。
ところが、講義の練習をしている内容はシルバーバーチの霊訓の説明ではなく、この団体で出されているもので、霊的真理を説明していると言いながらも独自の哲学理論とでもいうべき内容に感じました。

まるで、聖書を学んでいると言いながら、そこ独自の冊子を学んでいるような団体と似ていると思いました。

その団体で行っている読書会も同じです。
「シルバーバーチ読書会」としながらも、バーチの内容よりも独自の冊子の学習会をしているのです。

それに、登山に行くぐらいなら、ボランティアに精を出した方が良いようにも思います。
「ボアランティアには行かないのですか?」
と訊いたところ、
「個人的にはいいけれど、団体のすべき事ではないのでやりません。」

山登りにはせっせと行くのに、ボランティアはする必要なない?
困っている人がいるなら助けるのが大切なのでは?

うーん、あれもこれも考えさせられてしまいました。

新年早々、辛辣な内容だったかしら。
失礼いたしました。
 


  

 













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